モスルのイスラム国を完全包囲
alarabiya.netによれば、激しい市街戦の7ヶ月間の後、街をとるための戦いが終わりに近づき、アメリカが支援するイラク軍は日曜日、イスラム国が支配するモスル(Mosul)の最後の包囲地帯へ深く前進しました。
民兵たちはいまや、狭い通りと密集した人口を利用して、旧市街地を含むモスルの西半分の少数の地区以外から追い払われました。
ヤヒヤ・ラソール准将(Brigadier General Yahya Rasoul)は、イスラム国が支配する地域はモスル西部の9%足らずだと言いました。
「とても小さな地域です」と彼は言いました。「うまく行けば、これが最終段階になるでしょう」。
合同作戦司令部の声明によれば、精鋭の対テロリズム部隊(CTS)は日曜日の未明にウレイビ地区(Ureibi)とリファイ地区(Rifaie)に突入しました。
同じ時、陸軍の第9装甲師団て内務省の即応部隊は17タムオズ(17 Tammouz)のイスラム国の要塞を攻撃しました。
日曜日、国営テレビで第9師団指揮官、カシム・ナザル中将(Lieutenant General Qasim Nazzal)は「ダーイシュは死ぬ間際の最後の息をしているところです」と言いました。「ダーイシュは打破され、すぐに戦線から撤退しています」。
彼らに対して配置された軍隊に数で圧倒され、彼らが実質的に人質にしている数十万人の民間人の中に埋め込まれ、民兵たちは自動車爆弾、狙撃兵で反撃しています。
民兵支配下の縮められた地域で、民間人が雑草を食べるようになり、多くが激しい爆撃で殺されて、状況はますます絶望的です。
イラク政府の数字によれば、モスルから逃げる人の数は金曜日から1日1万人へと倍増しました。
防衛アナリストで元将軍のジャシム・アル・バハデリ(Jasim al-Bahadli)は、イラク人指揮官が採用した戦略は、残った民兵を小さなグループに分割し、彼らの指揮系統を途絶させるために、複数の戦線から攻撃することだったと言いました。
「旧市街地を囲む地区すべてを取り戻したことで、民兵はいかなる支援や増援をも受け取るチャンスがありません」と彼は言いました。
いよいよモスルのイスラム国は完全に包囲され、包囲網は徐々に狭められているようです。本当に時間の問題です。
下の地図で、赤線がリファイと17タムオズで、青線が旧市街地です。戦闘が行われている地域が随分と動いています。
|
図は右クリックで拡大できます。 |
長かったけど、イラクのイスラム国がいよいよ敗北します。イスラム国の正式名は「イラク・レバントのイスラム国」。レバントはシリアのことです。名称からシリアが欠落することで、その名声には傷がつきます。シリアでも敗北したら、アルカイダと同じように、テロ組織としての格が落ちます。これは大きな前進です。
思えばシリアの小さな町、コバニを包囲したイスラム国にアメリカなどが空爆を始めた時、メディアは冷笑的でした。いまや、イラクのイスラム国を打倒する可能性を疑う者はいません。
こういう風に結果が出ないと分からないのは最悪です。当時、吹き荒れたイスラム国の宣伝旋風にメディアは翻弄されるばかりでした。処刑ビデオは彼らの効果的な宣伝ツールでした。
しかし、冷静に考えたら、空爆で現地の対イスラム国組織を支援するのは最善の戦略と分かったはずです。処刑ビデオは虚仮威しのためのものでした。
冷静な判断ができない者は、不必要に絶望したり、逆に不必要に過激になるのです。なのに、空爆を支持する人は当初、本当に少数でした。
モスル市民の被害は懸念されるままです。日本で戦闘が起きても、内容は似たようなものと考えなければなりません。対岸の火事という考え方も捨てるべきです。
|