弾道ミサイルによる化学兵器の有効性

2017.5.8


 弾道ミサイルに搭載した化学兵器の効果について、専門家の間でも意見が分かれているようです。手に入った資料から、どの程度の威力があるかを考えました。

 すでに報道されていることですが、民進党の逢坂誠二衆議院議員が提出した「北朝鮮軍のサリンを弾頭に付けた弾道ミサイルの迎撃に関する質問に対する答弁書について」は防衛省が「ミサイル破壊時の熱などにより、無力化される可能性が高い。効力が残ったとしても、落下過程で拡散し、効果を発揮することは困難」との回答を提出し、4月28日の閣議でこれが決定されました。

 質問主意書の内容は以下のとおりです。(衆議院公式サイトの該当ページはこちら

北朝鮮軍のサリンを弾頭に付けた弾道ミサイルの迎撃に関する質問主意書

 現在、防衛大臣は、北朝鮮が長距離弾道ミサイルを発射する可能性が高いとして、自衛隊法第八十二条の三でいう「破壊措置命令」を発令しているものと承知している。かかる破壊措置命令は、昨年八月以降持続的に命令を出しておく常時発令の状態にあり、我が国の防衛に寄与しているものと承知している。
 平成二十九年四月十三日、参議院外交防衛委員会において安倍総理は、「サリンを弾頭に付けて着弾させるという能力については既に北朝鮮は保有している可能性がある」と答弁した。
 これらを踏まえて、以下質問する。

一 北朝鮮軍が「サリンを弾頭に付け」た弾道ミサイルを発射し、我が国の首都圏に着弾する可能性が生じた場合、市ケ谷の防衛省敷地内に配備された航空自衛隊の地上配備型迎撃ミサイルのパトリオットなどで迎撃するという理解でよいか。
二 パトリオットの対弾道弾射程は二十キロ程度であり、首都圏で「サリンを弾頭に付け」た弾道ミサイルをパトリオットなどで迎撃した場合、その弾頭も破壊され、運搬されてきたサリンも我が国の領土に拡散されるという理解でよいか。
三 首都圏で「サリンを弾頭に付け」た弾道ミサイルを迎撃した場合の国民への被害シミュレーションを行った事実はあるか。
四 首都圏で「サリンを弾頭に付け」た弾道ミサイルを迎撃する場合、比較的地表に近い高度で弾道ミサイルが破壊されるため、首都圏に在住する国民への健康被害が生じることは否定できない。政府はかかる被害はどの程度であると評価しているのか。死傷者は生じる可能性があると考えているのか。
五 首都圏で「サリンを弾頭に付け」た弾道ミサイルを迎撃した場合の被害想定を政府が公表できないとすれば、国民の不安をどのように払しょくするのか、政府の見解を明らかにされたい。
六 パトリオットの対弾道弾射程は二十キロ程度であり、国民への健康被害が皆無であるとは到底考えられない。政府はこれに対して国民に分かりやすい説明を行う準備はあるのか。見解を示されたい。

 右質問する。

 実は、本当は防衛省は「サリンなどの化学兵器を弾道ミサイルに搭載することは、ほとんど実行するほど意味がないほど非効率である」と答えたかったはずです。それが化学戦の常識だからです。元海上自衛官で、現在軍事ライターの文谷数重氏が書いた「北朝鮮『サリン弾』効果なし」(該当記事はこちら)にも、「つまりは、化学弾頭弾道弾は見た目ほどには使えない兵器だということだ。使えるにしても限定的な抑止である。」と結論されています。

 4月13日の参議院外交防衛委員会で、安倍晋三首相が「サリンを弾頭に付けて着弾させる能力を既に北朝鮮は保有している可能性がある」と答えてしまっているので、こう回答するしかなかったのでしょう。首相がサリン攻撃の能力を持っていると言っているのに、それは非効率だといえば、首相が批判にさらされるので、それを覆い隠すような回答にしたのです。サリン攻撃はほとんど心配する必要がない攻撃方法であり、それを首相が国会の場で警告として発したのは、大きな誤りだったといえます。

 核・化学・生物兵器については、核兵器に対して備えれば、多くの場合で、化学・物兵器についても備えることになります。放射性物質を除去するフィルターがついた地下シェルターにいれば、化学剤と細菌からも守られるからです。三種類の異なる防衛態勢をとる必要はなく、核戦争を念頭に準備することで、他二種の攻撃にも対処できるのですが、なぜか政府はその対策には消極的です。

 しかし、国内の軍事専門家も、化学兵器のことはよく分からないようで、異なる意見が散見されます。サリンはオウム真理教が二度テロ攻撃に使ったことから、国民の間にある不安が大きいこともあり、ここでサリンによる攻撃について調べることにしました。

 化学兵器による攻撃はいまやほとんどの軍隊が放棄していて、防護方法のみの研究になっており、古い資料へのアクセスが探求の中心となります。それでも、この分野はそれほど進歩がないはずなので問題はないでしょう。ここでは情報公開に熱心で、高い科学技術を持つアメリカの事例を引用します。

米軍のサリン弾M139

 米軍が開発した化学兵器のM139は、1964年に「オネスト・ジョン・ロケット」用に開発され、弾頭には52個のM139が搭載されました。1960年代の「MGM-29 サージェント」になると330個へと増えました。 弾頭を空中で爆破して子爆弾を空中に放出し、子爆弾がさらに爆発して化学剤を撒くという仕組みです。こういうのを「クラスター爆弾」と呼びます。写真はオネスト・ジョン用の弾頭です。

写真は右クリックで拡大できます。

 M139は直径11cmの球形の子爆弾で、590gのサリンが充填されていました。子爆弾の外側には羽があり、子爆弾が放出されると風圧で羽に抵抗がかかり、子爆弾を回転させます。この回転が着発信管を起動します。1分間あたり1,000〜2,000回転で子爆弾の中心部に設置された爆薬を起爆します。この爆薬は73gのコンポジションB火薬でした。M139は1967年に二回のテストがハワイとアラスカで行われました。

写真は右クリックで拡大できます。

 つまり、「オネスト・ジョン・ロケット」の弾頭にはサリン30.68kgが、「サージェント」には194.7kgが搭載されていることになります。

 北朝鮮が開発できるとしても、こういう仕組みの弾頭が精々でしょう。これが造れない場合、弾頭全体にサリンを充填して、それを爆破して散布する方式となるでしょう。これは、クラスター爆弾よりも均一に散布できないので、より非効率的です。クラスター爆弾は搭載量は犠牲になるものの、化学剤を失わずに地表まで運ぶ能力があります。

 M139の実験結果のデータは見つかりませんでしたが、かわりに榴弾砲用の化学兵器について書いたnationalinterest.orgの記事が見つかりました。(記事はこちら

 記事は情報公開法で入手した1957年の米陸軍の訓練マニュアル(リンクはこちら)からサリンを使った攻撃方法について解説しています。米軍はかつては化学兵器を開発し、保有していました。現在は、国際条約により、ほとんどの化学兵器を廃棄しています。以下に要旨をまとめました。

 敵の陣地へ打ち込まなければならない砲弾とロケットの数をおおよそ見積もるために、兵士はいくらかの追加の警告と8つの基本的データを必要とします。

 当時、地上の戦闘部隊はサリンを満たした105ミリメートルと155ミリメートルの砲弾と4.5インチのロケットを持っていました。大砲と自走榴弾砲は化学剤を詰めた発射体を打ち上げることができました。

 方程式は特定の地域で、敵兵の40~80%を殺すために必要な砲弾の総数を吐き出しました。「中くらいの犠牲者」、20~40%の死者を望むのなら、サリンの基準額を最初にヘクタール(1万平方メートル)あたり0.4グラムでかけ算します。

 記事は実例に用いた状況の最高気温は華氏47度(摂氏8.3度)でした。誰もガスマスクを持っていないと考え、「防護なし」オプションを選択しました。

 使う兵器とガスの斉射を行う時間、あるいは砲弾が一度に降り注ぐ「同時弾着射撃」などを決定します。

 ここでは105mm榴弾砲を用います。攻撃時間は30秒間。一覧表によると、この場合、ヘクタールあたり38ポンド(約17.2kg)のサリンを必要とします。

 地形は嶮しい山や深い森ではなく、誰も換気が限られた掩蔽壕におらず、気温は華氏20度を下回らず、今日の風は時速12マイル(19.3km)以上はないので、犠牲者は中程度ではなく大規模になります。

 600m×800m(48ヘクタール)なら、ヘクタールあたり38ポンドで、総計1,824ポンド(827.4kg)です。

 105mm砲弾一つは1.8ポンド(816.5g)の化学剤を含有します。40〜80%の人を殺すためには、砲弾が少なくとも1,014発必要です。

 M119榴弾砲は約8分間、30秒間に4発を安全に発射できるだけです。よって、30秒間続く斉射のためには、榴弾砲が250門以上必要です。

 まったく同じパラメーターで、同時着弾攻撃をするにはヘクタールあたり25ポンド(11.3kg)が必要です。

 記事の要旨は以上です。

 M139を使った時、どれだけの子爆弾が散布時に壊れて無駄になるのかは不明です。実験データが見つかればよいのですが、今は手に入っていません。

 ノドンの大きさはサージェントより4割程度大きいようです。大ざっぱですが、4割増しで324.5kgのサリンを搭載できると仮定しましょう。(実際には、ここまで搭載できないと予測しますが)

名称
全長
直径
ノドン
16m
1.35m
オネスト・ジョン
7.57m
0.76m
サージェント
10.54m
0.79m

 同時着弾の場合と同じとみなし、単純に割り算した結果では、28.7ヘクタール(287,000平方m)にサリンを散布できることになります。正方形の地形なら一辺の長さは535.5mで、東京ドーム6個分となります。都市部だと、屋内や地下街への避難が可能なので、死者は40〜80%ではなく、20〜40%というところでしょう。これが北朝鮮にとって嬉しいかというと、微妙なところです。かなりの数のミサイルを使わないと、日本を参らせるほどの戦果は生みそうにありません。

 また、この数字はクラスター爆弾が完全に機能した場合の話で、そういうことはまずありません。子爆弾を放出するための爆発で壊れる子爆弾もあるはずですし、子爆弾が爆発しない可能性もあります。また、榴弾砲の場合、基準となる砲と同じ方位、射角で砲弾を撃ち、各砲の位置が少しずつ違うので、弾着位置も少しずつずれ、均一に散布できると期待できるのに対して、クラスター爆弾は一個の弾頭から散布するので、どれだけ均一に子爆弾を放出できるかという問題もあります。どの高さで散布すれば最も効果的なのかは、弾道ミサイルの発射実績自体が少ないのですから、北朝鮮も検証を行っていないはずです。従って、実際の効力範囲はこの計算結果よりも相当に小さくなるはずです。

 

 


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