戦闘激化でラッカ市民に犠牲多数
alarabiya.netによれば、ラッカ(Raqqa)のイスラム国民兵は、激しい空爆を避けるために民間人になりすまし、逃げようとするのを見つけられた者を誰でも撃っています。
街の北にあるアイン・イッサ村(Ain Issa)の難民キャンプで、水曜日に訪れた人々も、アメリカが支援する軍隊による攻撃は戦いが激化して、広範囲の破壊を負わせたといいました。
国連戦争犯罪捜査官は、空爆作戦が市内で少なくとも300人の民間人を殺したといいました。
脱出者は空爆が主要道路に沿ったアパートの列を平らにしたものの、それらの大半はイスラム国の恐怖統治と、先週始まった街への攻撃を逃げる住民により、すでに放棄されていたといいました。
「同盟軍の攻撃は四階建てのアパートを破壊しました。私は10人の人々が階下に閉じ込められたのを見ました」とアブ・ハモウド(Abu Hamoud)は言いました。「彼らは燐を使いました」
人権団体「Human Rights Watch」は水曜日、人口密集地域で使えば民間人を危険にさらすといい、アメリカが率いる同盟軍による焼夷兵器の白燐弾使用について懸念を表明しました。
シリア民主軍(SDF)を支援する同盟軍は、シリア北部のラッカを包囲するのに数ヶ月を費やしました。
ハサン・キルフォウ(Hassan Kirfou)は、彼が働くモスクが夜に彼が閉鎖したあと2時間足らずで空爆を受けた、他の2カ所のモスクが攻撃されたといいました。
「私はヌーリ・モスクの外で死んだティーンエージャー3人が折り重なるのを見ました」と彼は言いました。「私はなぜ彼らがこの地域を攻撃したかが分かりません。私が知る限り、イスラム国の狙撃兵数人がいるだけでした」。
空爆の損害の大半は、街の幹線道路の一つ、サイフ・アル・ダウラ通り(Seif al-Dawla)に負わされました。「叔父1人と従兄弟2人が殺されました。彼らの家は破壊されました」とキルフォウは言いました。
「彼らは人々に『異教徒になるな。イスラムと共にあれ』というために拡声器を使い出しました」と、人々が食料のために列を作るときに、白いテントの列の近くに立つアブドル・ラザク・クライス(Abdul Razak Crais)は言いました。
「彼らは逃げようとした者すべての車にガソリンを注ぎ、マッチを擦って、車を燃やしました。私は彼らが人々を車から引きずり出し、彼らをAK-47で撃つのを見ました」。
「彼らは人々の家を奪い、戦闘中に前後へ動けるように壁に穴を開けます」とサイア・イブラヒム(Thaier Ibrahim)は言いました。
キャンプの他の者は、民兵は空爆を避けるために武器を隠し、民間人と共に車に乗っていると言いました。
国連査問委員会の委員長であるパウロ・ピニェイロ(Paulo Pinheiro)は、民間人はいま極度に脆弱だと言いました。
「作戦が非常に早いペースになると、民間人はイスラム国の弾圧的な統治の下で街の中にとらわれ、激しい空爆のために移動に関して、極度の危険に直面します」。
ラッカの北、約60kmにあるSDFが運営するアイン・イッサのキャンプに、毎日数百人を越える人の到着があり、約10,000人の民間人が逃げていると、国境なき医師団は言いました。
状況は厳しい夏の熱気のため、悪化しました。
しかし、モハメッド・ナハフ(Mohamed Nahaf)のような人々はイスラム国を逃れるために撃たれたり、何ヶ月もかかり得る街のための戦いで危険を冒します。
「彼らはすべての道路を遮断しました。我々を外に出すためには密輸業者に200ドルを払わなければなりません」と彼は言いました。
イスラム国による虐殺と同盟軍による空爆で民間人に多数の被害が出ている模様です。その程度は明確ではありませんが、かなりの程度のようです。
一番の懸念は白燐弾です。軍事的には煙幕用でも、空気に触れると燃える燐を使う以上、殺傷能力があります。
国際法では、白燐を使った弾薬は禁止していますが、煙幕や信号用に少量を用いることは認めています。戦車に搭載された煙幕も材料は白燐です。少量とはいえ、白燐を頭からかぶると当然、やけどを負います。
煙幕用の白燐弾は広範囲に燐を散布するので、建物を狙っても、周辺にいる人達へ被害を及ぼしかねません。
かといって、何もしなければ、イスラム国は掃討できません。ここに軍事的手法の矛盾があります。自衛隊が日本国民を守るという言葉は、鵜呑みにはできません。どの軍隊も防衛戦争で誤って自国民を殺してしまうことがあります。これが軍事的手法の現実だということは忘れてはいけません。
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