海上保安庁が衝突後の商船の動きを調査

2017.6.20


 military.comによれば、日本の海上保安庁は米海軍駆逐艦とコンテナ船の致命的な衝突が報告されるまでになぜ1時間近くかかったかを調査しています。

 海上保安庁当局は月曜日、彼らがフィリピン船籍のACXクリスタル(ACX Crystal)の乗員が日本沖合での衝突を50分遅れて当局に報告する前に何をしていたかを調べていると言いました。

 船舶追跡サービスの「MarineTraffic」による巨大なコンテナ船の航跡は、午前1時30分頃に、東へ進み続ける前に何かを避けようとするかのように突然ターンしています。船はその後、Uターンし、午前2時30分頃に衝突した海域の近くに戻ったことを示します。

 フィリピン船が午前2時30分に報告し、事故が起きたばかりだと言ったので、海上保安庁は当初、衝突は午前2時30分に起きたといいました。フィリピン人乗員に聞き取りした後、海上保安庁は衝突時刻を午前1時30分に変更しました。

 海上保安庁当局者、タナカ・テツヤ(Tetsuya Tanaka)は、彼らが50分間に何が起きたかを明らかにしようとしているといいました。

 彼は当局は、衝突のさらなる詳細を検証するために通信記録装置を手に入れる予定だといいました。日本の運輸安全委員会も日曜日に事故調査を開始しました。

 混乱に加え、米軍海軍当局は衝突のタイミングを、彼がフィッツジェラルドから報告されたと言った、午前2時30分に固執していると言いました。

 より早い時刻について海上保安庁から問われて、海軍報道官、ロン・フランダース中佐(Cmdr. Ron Flanders)は「それは我々の理解ではない」と言いました。彼は相違のすべては調査で明らかにされなければならないと言いました。

 「NYK Line」の広報、ナナミ・メグロ(Nanami Meguro)は、より早いタイミングに同意しました。

 メグロは、会社が使う船舶追跡サービスが示すとおり、船は午前1時30分に衝突するまでは「平常に稼働していた」と言いました。彼女は船は海上保安庁に午前2時30分に報告したと言いましたが、彼女は船が1時間近くも何をしていたかについては詳細を提供しませんでした。

 「緊急事態でしたから、乗員は通報できなかったのかもしれません」と彼女は言いました。

 海上保安庁当局は、事件を職務怠慢の疑いで調べていますが、今のところ、刑事責任は科していません。

 もう一人の乗艦隊員の母親は、彼女の息子はエアポケットがなくなり始めるまで、乗員仲間を救おうとして、衝突後に浸水した居住区へ潜り続け、一方で他の生存者は艦が攻撃を受けたと考え、火器へ取り付くよう急がせたと言いました。

 ノースカロライナ州、ローリー(Raleigh)のミア・スカイズ(Mia Sykes)は、19歳の息子、ブライデン・スカイズ(Brayden Harden)は衝撃と直ちに寝室に満ち始めた水によって、寝台を叩き出されたと言いました。

 スカイズは息子が、彼の寝室で彼の上下の寝台で寝ていた者を含めた4人が死に、上の寝室で3人が死んだ、と述べたと言いました。

 彼女は、イリノイ州ヘリン(Herrin)出身の息子が、起きたことに向き合えるように家族とともにあるために家に来られることを望むと言いました。「彼らのほとんどが罪の意識とともに生きる18、19、20歳なのを考えてください。でも、私は彼に『あなたがまだここにいて、その数を数えるのには理由があるの』と言いました」。


 政府からのコメントや死者のリスト、事故に直接関係ない部分は省略しました。

 勘違いする人がいるかもしれないので、指摘しておきます。海上保安庁が衝突後のコンテナ船の動きを調べているのは、コンテナ船が怪しいからではありません。イージス艦も報告は1時間遅れています。海軍は独自に調査を始めています。当夜の当直は全員が缶詰にされ、順番に尋問を受けています。海上保安庁はその尋問に同席できません。なので、コンテナ船を調べているだけです。

 この記事で、当初謎だった衝突時刻が特定できました。午前1時30分が正解です。私は午前1時30分の少し前が衝突時刻だと推定します。舵を切ったのは衝突のあとで、それは船首にめり込んだイージス艦を振りほどくためだったと推測します。イージス艦の接近を知って回避しようとしても、動きがのろいコンテナ船には大したことはできません。舵を切っても、実際に針路が変わり始めるには時間が必要です。

 生存者の話からも、衝突後のイージス艦はパニック状態で、そのために報告が遅れたことを示唆しています。沈没を回避するだけで精一杯だったのでしょう。

 なお、ACXクリスタルを保有する「NYK Line」は日本企業だったことも、改めて確認できました。トップページに事故に関する報告が第8報まで載っています。

 

 


Copyright 2006 Akishige Tanaka all rights reserved.