バーンピット訴訟が却下される
military.comによれば、連邦判事は退役軍人とその家族による、イラクとアフガニスタンでのバーンピット(焼却穴)の運用に関し、原告が彼らに慢性的で致命的な呼吸器疾患と癌をしばしばもたらすという国防請負業者に対する大きな訴訟を却下しました。
決定において、ロジャー・W・テトス米連邦地裁判事(U.S. District Court Judge Roger W. Titus)は、基本的に軍の決定であるため、KBR社は廃棄物処理のためにバーンピットを使うことに責任があるとみなされることができないと書きました。
テトス判事は国防総省に責任を負わせることは、彼の管轄権の外にあると言いました。
「広範な証拠は、開放したバーンピットを使い、運用することにまつわる、任務に必須で、リスクを伴う決定は、軍の戦時の判断の問題として、軍隊によって決められたことを示します」と、テトス判事は81ページの意見で書きました。
この事件でテトス判事による二度目の却下は、訴訟を起こした700人以上の退役軍人と家族、元KBR社の従業員に大きな打撃を与えます。
原告は失望しました。そして、何人かは激怒していました。
「私の夫はバーンピットのために死んだのです」とディアナ・マッケンナ(Dina McKenna)は言いました。彼女の夫、元陸軍軍曹ウィリアム・マッケンナ(Army Sgt. William McKenna)は2010年にイラクで勤務した後、珍しいT細胞リンパ腫のために死亡したと、マクラッチー紙(McClatchy)に電子メールで言いました。「私は誰かに責任があるとされてほしいのです」。
原告を代表するボルチモアに拠点を置く弁護士、スーザン・バーク(Susan Burke)は、マクラッチー紙に、彼女の依頼人は第4区へ上訴すると言いました。
国中の事件を統合する訴訟には、国家的集団訴訟44件を含む63件の告訴があります。
原告は政府請負業者で、元ハリバートン(Halliburton)の子会社であるKBR社を、イラクとアフガンで無責任にバーンピットを運用し、米兵の居住区や作業所に近い位置でそれらを稼働し、塗料、バッテリー、コンピュータ、燃料、プラスチックの飲料ボトルと人間用の医療廃棄物を含む、ピットには向かない物品を燃やしたと訴えました。
原告は、彼らは被爆した結果、命を脅かす狭窄性細気管支炎、消化器疾患、神経学的問題と癌のような呼吸性の疾患など、様々な病気で苦しむといいます。
ワシントン特別区の集団訴訟の一つでは、事件が統合されてから1ダースの原告が死亡しました。
テトス判事は決定の中で、「多数(の原告)が、少なくとも、イラクやアフガンの開放したバーンピットの使用や、彼らが飲んだ水によって、いくらかの範囲で傷つけられたことは疑いの余地がありません」と言いました。
しかし、軍隊はバーンピットの使用に関連する特定の健康へのリスクを認識していたものの、基地の外の埋め立て地へゴミを捨てたり、どこかへ送る、別の廃棄物管理の手法が使われると、軍の隊員を傷つける、さらに多くのリスクと、それらのリスクとのバランスを取りました」と彼は付け加えました。
「バーンピットを使う決定は請負業者ではなく、むしろ軍隊によって決められました」と彼は書きました。
彼はピットでなにを燃やすかや、どこにそれらを設置するかを決める責任はKBR社にはないと付け加えました。
彼はバーンピットを使う国防総省の選択を疑わないか、調査せず、行政機関による戦時下の選択は彼の管轄外で、司法審査に不適切だと付け加えました。
テトス判事は2013年に訴訟を却下するよう初めて動いたとき、似た議論をしました。
彼は、企業は決定が軍隊がしたものであるために、企業は責任があるとみなされてはならないということに同意しました。
原告は上訴して、KBR社が戦闘地域で廃棄物処理を管理する上で、会社従業員に余地を与える契約によって活動したと主張しました。
原告弁護士は最終的な判決が出される前に、情報が必要だったと言いました。
第4巡回控訴裁判所は同意して、2014年にテトス判事のメリーランドの法定へ訴訟を差し戻しました。
テトス判事は、「原告の主張に同情的」と言いながらも、彼らの問題の解決は「司法を通してではなく、軍隊と立法上のプロセスを通じて」だと付け加えました。
彼は意見の中で、軍隊によって傷つけられた兵士には「大きな賠償」がないのではなく、退役軍人補償給付、今年、両院がバーンピットに曝された退役軍人を支援するように組み立てられた、今年導入された法律をあげました。
KBR社の広報は、会社従業員は米軍の指示と管理の元で、安全で効果的にバーンピットで活動し、テトスの決定に満足しているという声明を出しました。
「KBR社は法廷が正しい決定をしたことを信じます。我々はこの受け継がれる訴訟が最終的な解決に近づくステップであると信じます」。
補償制度や法律があるなら、それで補償を受ければ良いと思う人もいるでしょうが、当サイトで最初にこの問題を取り上げたのが2009年であることを考えれば、問題が長期化していることがわかるはずです。(最初の記事はこちら)
被害者を救済する法律が施行されたのが今年だったことも、政府の対処が遅すぎることの表れといえます。
議会の動きは遅すぎます。兵士の貢献に感謝する一方で、問題が起きた時はなかなか動きません。イラクの米軍基地で感電事故が多発しているのに、議会が動いたのは何年も後でした。私はプールでの感電死を知っていて、ずっと不審に思っていたのにです。
KBR社の親会社、ハリバートン社の経営者は、国防長官や副大統領を努めたディック・チェイニーでした。政府と極めて親密な関係にある企業です。かれらなくしては、アメリカは戦争ができません。
人々は戦争で勝つことに興味を持ちますが、その中で傷ついた兵士に対する福利厚生には関心が薄いのです。勝つかどうかが分からない中で、そういう問題に目を向けるのは嫌なのでしょう。これは戦争にみられる、大きな矛盾の一つです。
|