東日本大震災被災地見学記 その1

2018.7.3


 先月23日と24日に、北海道から宮城県と福島県へ赴き、被災地を単独で見学してきました。完全な自腹の旅。

 今年3月に東日本大震災関連のTV番組を見ていて、一度、すでに7年が経った被災地と復興の状況をこの目で見ておくべきだと思い立ち、計画を立てました。最初は宮城県の津波の被災地だけを見るつもりが、震災の取材経験がある人に聞くと、福島県の原発被害を見るべきだとの意見を受け、福島県を加えることにしました。

 福島県相馬市には、農業分野で復興を推進する非営利法人『野馬土(のまど)』があり、「福島第一原発20km圏内ツアー」を実施していることを知り、ガイドをお願いしました。

 ほかに、仙台空港付近の遺構や防災公園、津波で大きな被害を出した閖上港(ゆりあげ)と朝市、津波で破壊され廃校ののちに被災の記念館となった荒浜小学校などを見学する計画を立てました。

非営利法人 野馬土

 23日、仙台空港に昼過ぎに到着し、レンタカーを借り、高速道路を使って『野馬土』がある相馬市へ向かいました。

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 最初に向かったのは、松川浦新漁港にある「相馬市伝承鎮魂祈念館」です。

 その途中で、電柱に見たことがない掲示があることを教えられました。これは津波が到達した高さを示す標識です。こういう標識が各所にあります。

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松川浦新漁港

 漁港は震災後に再建されたようで、すべてが真新しいのに驚きました。そこから少し離れたところに祈念館がありました。中には様々な資料が展示されています。写真撮影は控えました。

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 漁港の建物はほとんどが新しく、震災後に建て替えられたものだと分かります。松川浦大橋は平成6年に完成したもので、橋桁が高い位置にあって、波を受けなかったために生き残りました(橋の資料はこちら)。橋桁の正確な高さは分かりませんが、図面では橋脚の一番高いところは58メートルですから、橋桁の高さは20メートル程度でしょうか。祈念館で震災時のビデオを観たら、波が橋桁の下近くまで波があがったことが分かりました。津波の高さは15メートルはあったはずです。

写真はWikipediaから引用。
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 それから、松川浦大橋をわたり、松川浦新漁港の南にある先月完成したばかりの道路を走りました。ここは防潮堤の上が道路になっています。下の航空写真の矢印の部分です。古い地図では道路が切れて、海として表示されているところもあります。

写真はGoogleEarthから引用。
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 この防潮堤は資料によると高さ12メートルです。一番上の部分が少し反り返り、波を返すようになっています。しかし、これが効果があるかは疑問です。東日本大震災と同じ高さの波なら乗り越えられてしまいます。前述したように、松川浦大橋の真下近くまで波があったのですから、12メートルの高さでは足りないのです。その足りない分を補いたいかのように、上部に反り返しがあるのですが、防潮堤を越えるような津波だと、逆に抵抗となって、防潮堤の破壊を促す恐れもあると思われます。

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 防潮堤の近くにトンネルがある丘があるのですが、この丘の上の方の樹木が枯れていました。津波をかぶったために、塩水が樹木を枯らしたのです。樹木の位置は堤防よりもずっと高く、20メートル程度ありそうでした。

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 国土交通省の資料には、「L2」と呼ばれる東日本大震災クラスの津波ではなく、「L1」と呼ばれる「比較的発生頻度の高い津波」を想定していると書いてあります。(国土交通省の解説はこちら

 具体的には、明治三陸津波(1896年)、昭和三陸津波(1933年)、チリ地震津波(1960 年)などの津波を想定しているのです。

 率直に言って、この想定は疑問があります。千年に一度の津波なんか想定しなくてよいといって原子力発電所を運営し、メルトダウン事故を起こしたことを忘れています。地面の下のことは、現在でもほとんど分かっていません。科学の限界も忘れています。

 ある地震の専門家が言っています。日本の古文書には、現在の科学では説明できないほどの巨大地震の記録があると。

 これが日本人の欠点でしょう。最悪の事態を想定し、それに対処するという発想がないのです。防潮堤建設計画をまとめた人たちは、計画を小さくして、あまり予算をかけずに済んだと自画自賛しているのでしょう。

 核戦争なんかないと決め込んで、国民が避難できる核シェルターを造らないという発想も同じですね。

 さて、さらに道路を進むと、各所に太陽光発電所と防災林の松の植樹地があるのが分かりました。もともとは住宅地だったところも活用されているそうです。現在、海岸から200メートルの地域は防災のために家が建てられません。太陽光発電所は住宅地として使えなくなった土地の活用としては有効です。津波で太陽光パネルが流された場合、環境を汚染するという否定的意見があるようですが、限定的だとの意見もあり、私は後者が妥当と考えています。

続く

 

 


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