レーダー照射事件とトンキン湾事件の類似点

2019.1.6


 韓国駆逐艦によるレーダー照射事件の展開を見ていると、ベトナム戦争の発端となったトンキン湾事件を思い出します。

 1964年、ベトナムを共産国にすべきではないとの認識から、米政府は南ベトナム政府を支援し、米海軍の駆逐艦マドックスはベトナムのトンキン湾に入り、偵察活動中でした。8月2日マドックスは北ベトナム海軍魚雷艇がマドックスに対する攻撃を実行し、魚雷と機関銃を用いました。マドックスは他の艦底と共に反撃して、魚雷艇1隻を撃沈するなどの戦果をあげました。さらに4日にもマドックスは攻撃を受けたと報告しますが、北ベトナム軍は否定しました。

 当時、国防長官だったロバート・マクナマラは、一連の攻撃が北ベトナム政府の指示と考え、ベトナムへの本格的な軍事介入を支持しました。こうしてアメリカは、のちに多くの被害を出し、世論を二分する事件となったベトナム戦争へと突入していったのです。

 実際のところ、マドックス側は2日に攻撃があったのは間違いがないものの、4日の攻撃は確信がないと考えていました。ソナー要員は自艦のスクリュー音を魚雷のスクリュー音と聞き違えることがあり、それが起きた可能性があると考えられたのです。しかし、米軍が攻撃を受けたと判断した米政府は報復攻撃を決定し、実行に移しました。

 アメリカ国民は自国の軍艦が2回も攻撃を受けたと聞いて、当然のように、ベトナム介入を支持しました。殴られて黙っているべきでないと考えたからです。

 その後、2度目の攻撃がなかったことが報じられると、今度は政府がベトナムに介入するために事件を捏造したとの見方が広がりました。

 1995年になってマクナマラは当時の国防相ボー・グエン・ザップと会い、4日の攻撃はなかったことを確認しました。さらに、北ベトナム軍の攻撃は現地部隊の判断で行われていて、北ベトナム政府の指示ではなかったことも確認されました。マクナマラは、もしこれを当時知っていたら、彼はさらなる軍事介入が必要だとは思わなかったと述べています。こうしたことが確認できた時には、ベトナム戦争が終わってから20年間が過ぎていました。

 この時の大衆の心理を考えてみます。

 事件はセンセーショナルに報じられましたが、現場は地球の反対側で、しかも洋上です。誰も現場を確認できません。これは人々に想像力を膨らませる原因になります。一方、警戒心も高まります。

 情報は報道記事しかなく、短い記事から想像力を使って、なにが真実かを判断しようとします。

 人々は誰もが外国の政府よりは自分の政府を信じる傾向があります。このような事件が起きると、その傾向は強まります。

 そこから、嘘をついているのは相手国だという考えが芽生えます。マドックスを攻撃していないとの北ベトナム政府の声明を信じる人は少ないのです。

 現場に何か思い違いがあるとは考えません。北ベトナム軍はマドックスを南ベトナム軍と誤認して攻撃したのですが、米国民は米艦を狙ったとみなします。

 また、臆することなく反撃して敵を撃退した海軍を褒めてあげたいという気持ちから、敵意はさらに強化されます。

 こうしてできあがった心理を私は「愛国者モード」と呼んでいます。

 レーダー照射事件でこの心理を考えると、実に共通点が多いことに気がつきます。

 現場は同じ洋上です。情報は日韓両政府が発表するものしかなくて限定されています。

 日韓国民は相手よりは自分の政の方を信じます。

 日韓両政府の主張は真っ向から食い違いました。日本国民は韓国政府が嘘をついていると信じ、韓国国民は日本政府が嘘をついていると信じます。

 何らかの誤認やハードウェアの問題があった可能性は考えません。海軍がやすやすと誤りなどするはずがないという先入観が優先します。日本国民は駆逐艦は故意にレーダーを照射したとしか考えません。

 日本国民は冷静に対処した哨戒機の搭乗員を褒め、韓国国民は人命救助を行った駆逐艦と海洋警察艦の乗員を褒めます。

 こうして愛国者モードに陥った人たちが溢れかえります。

 ネットワーク上でみても、日本人のコメントには「国交断絶でいい」「協議なんて不要」「所詮更新国」などの極端な意見が多数あります。韓国でも似たような状況でしょう。

 しかし、問題は友好国の韓国の駆逐艦からなぜレーダーが照射されたかです。その真相はまだ明らかではありません。可能性は低いでしょうがハードウェアの問題も視野に入れ、韓国に調査協力を迫ればよかったのに、佐藤外務副大臣は火に油を注ぐような発言を繰り返しました。

 トンキン湾事件の教訓を生かし、ここは冷静に動くべきだという意見は出てきません。

 トンキン湾事件と今回の事件は別だと考える人もいるはずです。しかし、それこそが愛国者モードのなせることです。

 マクナマラは秀才で、軍高官がプレゼンテーションをすると、何番目と何番目のスライドの数字に矛盾があると指摘するほど聡明でした。そんな人ですら、簡単に判断を誤ったのです。

 ベトナム戦争の戦死者は全体で約150万人、行方不明者は約210万人、民間人の死者は約460万人です。

 我々はこういうことにもっと慎重になるべきです。

 実際、過去にはハードウェアの異常動作が軍事的危機を起こしたことがあやります。

 1983年、ソ連のスタニスラフ・ペトロフ中佐は核ミサイル攻撃の警報が鳴ったのにコンピュータの誤報と判断して上官に報告しませんでした。1基のミサイルがアメリカからソ連に向かい、さらに別の4基が探知されても、彼は誤報との判断を変えませんでした。

 事実、警報は誤探知でした。もし、彼が報告し、ソ連が報復のために核ミサイルをアメリカに向けて発射したら、いまの世界はなかったでしょう。この件でペトロフは規律違反で処罰されましたが、彼の賢明な判断は世界を救ったのです。

 核攻撃をするなら、大量のミサイルを同時に発射するはずなのに、アメリカが5基しか発射したのはおかしいというのがペトロフの考えでした。

 この判断を、間もなく核攻撃を受けるかも知れない極度のプレッシャーの下でするのは、なかなかできることではありません。

 ミサイルが5基しか見えないのは、我々が知らぬ間に敵国がステルス技術を開発したからで、5基の背後には数百基のミサイルが隠れているのだと判断してもおかしくない状況でした。もしそうなら、報告しないのは祖国を決定的敗北に導くことです。ペトロフは英雄になるか愚か者になるかの瀬戸際で英断を下したのです。

 これに比べたら、レーダー照射事件は即時判断しなくてよい状況なのに、多くの人が僅かな情報から何もかも分かったかのように韓国を非難しました。我々は事件の場所の位置すら大雑把にしか知らされていないのにです。実際、事件が日本領海内で起きたと誤解している人までいました。

 おそらく、いま韓国を非難している人はペトロフと同じ立場に立ったら、数百基のミサイルが祖国に向けて飛んでいる光景を目に浮かべるでしょう。

 「私はそんなバカではない」と否定する人。本当にそうかを自問自答してみてください。

 


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