バグダディ暗殺に関するさらなる情報

2019.11.4




 ガー ディアン紙から、バグダッディ暗殺の詳細が出ていますので、もう少し整理しておきます。図や動画も多い記事なの で、リンク先のオリジナル記事もみてください。

 記事はトランプ大統領の発表を中心にまとめてあるようですが、知らなかったことも載っているので、それを中心に整理しまし た。

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 米国大統領を含むチームが東部標準時午後5時(シリア時間午後11時)にホワイトハウスのシチュエーションルームに集まっ た瞬間、8機のヘリコプター(ほとんどがCH-47)がイラク北部の空軍基地から離陸しました。

 米国当局は航空機がどこから離陸したかを正確に認めていませんが、ほとんどの報告はそれがイルビルだと言っています。航空 機は、トルコとロシア軍の支配下にある領域を飛行したようです。

 離陸から約1時間10分後に、トルコ国境の南3マイル(5km)にあるシリアのイドリブ州のバリシア郊外の小さな家屋に到 達しました。デルタフォースは軍用犬と軍用ロボットを連れてきました。

 バリシアの村人たちは、軍隊が地上で活動する前に30分間ヘリコプターからの射撃があったと言いました。彼らは、ヘリコプ ターが2つの家へミサイルを発射し、1つをぺしゃんこにしたと言いました。

 バグダッディは地下掩蔽壕とトンネル網に逃げ込み、自殺ベストを着て、2人の子供を連れていきました。

 軍用ロボットが彼に向かって忍び寄り、犬が彼を制圧するために放たれたとき、バグダディは行き止まりに直面しました。彼は 自殺ベストに点火し、自分と彼の子供を殺し、トンネルを崩壊させました。

 バグダッディの遺体にたどり着くために、軍隊は瓦礫を掘らなければなりませんでした。検査技師は現場でDNA検査を実施 し、彼の死から15分以内に、彼を明確に本人と確認しました。

 バグダッディの死後約2時間、米軍はこの施設に留まり、将来の計画に関する情報を含むイスラム国家に関する資料を回収しま した。

 部隊が撤退した後、米国の戦闘機は家へ6発のロケットを発射し、それを真っ平らにしました。

 シリア時間の午前3時30分前に、ヘリコプター隊がイラクへの帰路に向けて離陸しました。バグダディの遺体は後に海で処分 されました。

 出発したのが午後11時で、飛行時間が1時間10分。帰投をはじめたのが午前3時30分とのことです。作戦の総時 間は4時間30分。飛行時間の1時間10分を除くと、現場にいた時間は3時間20分。家屋の捜索に2時間ですから、戦闘時間 は1時間20分だったことになります。攻撃前に30分間、空からの攻撃があったのなら地上戦は50分。妥当な時間だと思われ ます。

 先に 移動距離は764kmだったと発表されています。現場からイルビルまでの直線距離は約660kmなので、どこか迂回したはず でしたが、トルコとロシア軍の支配下にある領域を移動した分で測ると、大体、発表通りの距離になります。

 しかし、前に書いたように移動距離が764kmなら、時速655kmで移動したことになります。飛行隊の速度は一番遅い CH-47に合わせることになりますが、CH-47の巡航速度は時速240kmです。まったく計算がありません。どこかに矛 盾があるはずですが、皆目見当がつきません。

 軍用ロボットが使われたのは、この種の急襲作戦では初めてと思われます。そういう意味では歴史的な一戦でした。

 ヘリコプターが2つの家へミサイルを発射し、1つをぺしゃんこにしたとの証言は信じ難いものです。家屋の捜索をする前に、 そこを瓦礫にすれば、捜索が事実上不可能になります。攻撃は戦闘員に向けられたものと思われます。

 現場でのDNA解析は事実かもしれませんが、もっと時間がかかったのではないでしょうか。顔認証で最初に確認したのだろう と、私は推測します。

 フランス軍が家を爆撃したとの情報もあるので、米軍機が6発のロケットを発射して爆撃したのではないかもしれません。

 これらの見解は進行中の事実確認において、現段階までに言えることです。後にわかる事実で覆される可能性があります。
 

 


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