中央軍が機雷を取り除く現場を撮影
military.comによれば、米中央軍が木曜日夜に公表した短いビデオ映像は、イスラム革命防衛隊の警備艇が爆発しなかったリムペットマイン(吸着型機雷)を、その日早くに攻撃と思われる出来事で損傷したタンカーから取り除くのを示すと、当局はいいました。
パナマ船籍の石油タンカー、M/Tコクカ・カレイジャス(M/T Kokuka Courageous)は、この事件でホルムズ海峡付近で狙われた民間船舶2隻の1隻でした。もう一つはマーシャル諸島船籍のタンカー、MTフロント・アルタイル(MT Front Altair)でした。誘導ミサイル駆逐艦のベインブリッジ(Bainbridge)を含む米海軍の資産が対応し、商船の乗員21人を救助しました。フロント・アルタイルが燃え、コクカ・カレイジャスが船体に損傷を受けた出来事は、その日早くには直ちに明らかではありませんでしたが、マイク・ポンペオ国務大臣(Secretary of State Mike Pompeo)は、数時間後に「正当な理由がない攻撃」とイランを非難し、それらはならず者国家による一連の挑発的攻撃で最新のものといいました。
木曜日夜のCENTCOM(中央軍司令部)の詳細な声明は、早朝にタンカーから海軍が受信した2つの別々の救難連絡ではじまる出来事のタイムラインを概説します。
攻撃時、アルタイルから僅か約40海里(74km)のベインブリッジは直ちにその場所に向かいました。コクカはさらに約10海里(18.5km)離れていました。
午前8時09分頃、2番目の救難連絡から1時間半後頃で、最初のからは2時間後、「米航空機が(イスラム革命防衛隊の)ヘンディージャーン級警備艇(Hendijan)と複合革命防衛隊高速攻撃艇と高速沿岸攻撃艇をM/Tアルタイルの周辺に観測しました」とCENTCOM報道官のビル・アーバン大佐(Capt. Bill Urban)は声明でいいました。
米航空機は午前9時12分に、アルタイルから流れ出たゴムボートを海から引き揚げるイランの艦船を観測したと声明はつけ加えました。15分後、イラン人は苦難に陥ったタンカーの乗員をもともと引き揚げた貨物船ヒュンダイ・ドバイ(Hyundai Dubai)に乗員を彼に引き渡すよう要請したとアーバン大佐はいいました。ヒュンダイは従いました。
イランの通信社IRNAは、乗員44人をイランの捜索救難資産が救ったと主張しました。
イランの国連代表団は2隻に対する攻撃の責任を断固として否定したとAP通信は報じました。
CENTCOMによれば、午前11時05分頃、ベインブリッジはコクカ・カレイジャスから乗員21人全員を乗り込ませていたオランダのタグボート、コースタル・エースに接近しました。声明によれば、タンカーの乗員は最初の爆発の後、爆発していない可能性があるリムペットマインを船体に発見した後、船を放棄しました。
声明によれば、革命防衛隊のヘンディージャーン級警備艇は米海軍の駆逐艦よりも前にコースタル・エースに到達するように見えましたが、コクカの船長はベインブリッジに救助を要請しました。乗員21人は駆逐艦に乗ったままです。
革命防衛隊のガシュティ(Gashti)級警備艇が現場に戻り、M/T コクカ・カレイジャスから爆発していないリムペットマインを取り除くのが観察され、記録されたのは、およそ5時間後だったと当局はいいます。
約40秒のCENTCOMが公表した不明瞭なビデオ映像は、乗員が物体を取り除くように見えるときに警備艇がタンカーの側面に対して寄せられるのを示します。同じくCENTCOMが公表した2枚の鮮明な注釈付きの写真は、喫水線の上、船体後部に損傷があるコクカの右舷側を示し、前部に「おそらく機雷」と注釈があります。
船の船体に磁力で取り付けられる海軍の機雷、リムペットマインはイランのせいであると考えられる最近の他の攻撃でも使われています。
記事は事件に直接関係する部分だけを紹介しました。
このビデオ映像が本物かどうかという議論があるようですが、私は本物であり、現場で撮影されたものと考えています。イランのメディアは救助後に「安全検査」を行ったものだと報じていて、そのときの映像との見方が出ています。爆発物がまだ残っていないかを確認するのは当然のことなので、この説明には一定の説得力があります。
イラン犯人説をいうポンペオ国務長官の発言は事件から数時間後で早い段階で出ていることから、事実関係を十分に精査した上の結論ではないと考えられます。
まず、攻撃が起きた時刻を確認します。この記事には明確には書かれていませんが、BBCの記事に米海軍が救難連絡を受けたのが、フロント・アルタイルは午前6時12分、コクカ・カレイジャスは午前7時00分なので、この直前に爆発が起きたことになります。さらに、コクカ・カレイジャスを所有する国華産業の堅田豊社長が14日の記者会見で、攻撃は正午頃と約3時間後の2回だったことを明らかにしました(関連記事はこちら)。フロント・アルタイルでは3回の爆発がありました(関連記事はこちら)。
さらに堅田社長は2回目の爆発の直前に甲板にいた船員が飛来物を見たと述べていて、アメリカの主張と説明が乖離しています。
コクカ・カレイジャスで2回の爆発があり、1発が不発だとすると、攻撃者には3回の攻撃を仕掛ける意図があったことになります。フロント・アルタイルでも3回の爆発が起きていて、同じ数なのは気になるところです。
コクカ・カレイジャスは船尾、中央に爆発の跡と爆発物が確認されました。さらに、その前方に不発の爆発物が確認されいるわけですから、右舷の船尾、中央、船首と広範に爆弾を取りつけて、船体全体の破壊を目論んだようにもみえます。フロント・アルタイルの爆発物の位置が似たようなものならば、この仮説はあたっているかもしれません。
爆発の跡や爆発物が取りつけられていた高さはイラン海軍が図らずも示したように、小型艇の甲板から手を伸ばせば届く位置です。フロッグマンでは届かない高さでした。ここから、小型艇が使われた可能性はありそうです。
被害の面から見ると、1回目の爆発は外板を貫通してエンジンルームに到達。2回目は右舷中央部の外板を貫通。正直なところ、大型タンカーを沈没させたいのなら、もっと強力な爆発が必要です。最近の船は船体に穴を開けて水が入っても、直ちに全体に浸水しないような構造です。軍隊が開発する武器だと、事前にその威力を十分に調査して、適切に使うので、威力不足はそう考えられません。
また、堅田社長は2回目の爆発は1回目から3時間後と言っており、ミサイル攻撃ならなぜこれほど間隔があいたのかが理解が困難です。2回目の爆発時には周辺にイランとアメリカの海軍艦艇が集まっていたはずですから、飛翔体があれば、海軍によっても観測されたはずです。また、現場に留まれば留まるほど、海軍艦・航空機に補足され、追跡される危険が増します。このことから、攻撃者は現場にいなかった可能性を考えます。これだけの間隔を置いたのが意図的なら、集まってきた両国の海軍が互いを攻撃することを期待していたようにも感じられます。
現場はイランの海岸から60km程度です。イラン海軍は1時間程度で現場に来られたはずです。イラン海軍の艦底を米海軍が確認したのは最初の爆発から2時間後です。
ベインブリッジは攻撃時にコクカ・カレイジャスから92.5km離れていました。 最大船速は時速60kmですから1時間半で現場に到着できたことになります。実際に救助をはじめたのは午前11時を回っていましたが、レーダーで飛翔体を捉えられる距離には、かなり前に到着していたと考えられます。
こうして見ると、飛翔体による攻撃の可能性は低そうです。飛翔体を観測していれば、それは直ちに公表すべきことなので、すでに報じられているはずです。
今回の事件はトンキン湾事件にたとえられていますが、この事件でも似たようなことが起きています。
1964年8月2日に、アメリカ海軍の駆逐艦マドックスは北ベトナム軍の攻撃を受けて反撃を行いました。さらに4日にも魚雷による攻撃を受けたと判断しました。2回の攻撃で、北ベトナム軍が確信的に米軍を攻撃したとみなした米政府はベトナムへの本格的な介入に舵を切りました。ところが、4日の攻撃はマドックスのソナー要員が自艦のスクリュー音を魚雷と誤認した可能性が高く、現在では存在しない攻撃だったとされています。コクカ・カレイジャスの乗員も最初の攻撃で警戒心が高まり、飛翔体が飛来したと誤認したのかもしれません。
米海軍は救助活動中に爆発物を入手すべきでしたが、その装備がなかったのかもしれません。米海軍は漂流しているタンカーを追跡していると聞いた気がしますが、燃焼物を採取して、どんな爆薬が使われたのかや、爆発物の部品を回収して分析すべきです。
フロント・アルタイルの被害状況の情報が少なすぎます。どこかに情報があるとよいのですが。
問題は犯人が誰かです。イラン政府自体ではないと、現段階では考えています。イラン人だとしても、政府に反発を持つグループでしょう。むしろ、地域の不安定化を狙うテロリスト組織の方が考えやすいところです。
先に上げたトンキン湾事件でも、米政府は攻撃が北ベトナム政府の命令によるものと判断して、ベトナムへの本格的な介入を決めました。それが現地政府の命令だったとわかったのは戦争が終わってからでした。当時の国防長官ロバート・マクナマラは、それが分かっていたら、本格的な介入はしなかったと述べています。先月の連続的な船舶攻撃と合わせて、事態を慎重に観察する必要があります。
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コクカ・カレイジャスの航跡 |
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フロント・アルタイルの航跡 |
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