米国帰化ラオス人が退役軍人の承認を求める

2019.7.17


 military.comによれば、ベトナム戦争時代にアメリカに協力したモン族の退役軍人が軍人墓地への埋葬を求めています。

 CIAの40,000人のメンバーがいたロンチェン軍事基地(Long Tieng)はラオスで2番目に人口が多い街でしたが、その地域の地図には存在しませんでした。

 公式には、ラオスに戦争は、少なくとも米軍がすでにベトナムを占領した米軍を引き込むような戦争はありませんでした。現実には、パン・マン・タオ(Pang Mang Thao)のような男たちは1960年代と70年代の大半をCIAの指導の下で過ごし、ラオスの君主国が共産主義者の手に落ちるのを防ぐ準備をする一方で、北ベトナム軍がラオスを通ってホーチミン・ルートを使うのを妨げようとしました。

 さらに、アメリカ人のパイロットたちがラオスのジャングルに墜落したとき、タオのような男たちが彼らを救助するために来ました。

 「アメリカ人の一人の命のために、200人から300人のモン族をジャングルの中にでかけて、(彼を)見つけるために使いました」と、ミネソタ・ラオ族米退役軍人(the Minnesota Lao Veterans of America)の理事、タオはいいました。

 土曜日、ロンチェン陥落から44年後、全米から来たラオ族・モン族の退役軍人は4回目のラオ族・モン族退役軍人全国会議でセイントポウル(St. Paul)に集まることになっています。

 一日かかる会議はユニバーシティ西通り320番地のミネソタ州・ラオ族ファミリー・コミュニティの事務所で開催されます。政策議論は午前中に予定され、夕方のレセプションが続きます。

 集会は単なるノスタルジー以上に、儀式的、象徴的になるはずです。1970年代後半にアメリカに到着してからほとんど、ラオスでのCIAの失敗した「秘密の戦争」のモン族の生存者たちは、米政府に軍の退役軍人の恩典を求め、限られた成功しか収めていません。

 2018年、ドナルド・トランプ大統領(President Donald Trump)はモン族退役軍人の軍務承認法に署名しました。この法律はラオ族・モン族の退役軍人がアメリカの国立墓地に埋葬されることを認めます。しかし、この法律は2000年よりも後に米市民権を与えられた米国民になった退役軍人のみを認証します。

 いくつかの見積もりによると、軍務承認法はアメリカのモン族の退役軍人の半数を除外します。

 「法案の技術的な問題のため、法は退役軍人の約半数は除外します」と、会議の協賛者の一つ、公共政策分析センター(the Center for Public Policy Analysis)の上級理事、フィリップ・スミス(Philip Smith)は言いました。「我々は技術的な修正を検討しています」。

 通訳のパ・リー(Pa Lee)は金曜日、ラオ族ファミリー・オフィス(the Lao Family offices)で彼女の父、ウィリアム・リー(William Lee)の隣に立ち、少数の群衆に述べました。彼は1960年から1975年までラオスでCIAのために働きました。彼は1990年にアメリカの市民になりました。

 「私の父親は資格がないのです」とパ・リーは言いました。

 ウィリアム・リーはまさに1960年から1975年まで、ラオスで北ベトナム人に対してホーチミン・ルートを阻止するためにCIAとともに活動しました。アメリカ人パイロットがラオスのジャングルで墜落したとき、彼と150人のモン族はパイロットを救出するために出かけました。彼は2018年の軍務承認法の下で退役軍人の恩典や退役軍人の埋葬の資格がありません。

 「昨年まで彼らは何も得ていませんから、これはモン族すべてにとって大きなことです」と彼女はつけ加え、政治指導者たちにあまりにも多くの退役軍人が世を去る前に軍務承認法を拡張するよう求めました。「私はモン族のコミュニティがツインシティーズ(ミネアポリスとセイントポウルのニックネーム)の人種のるつぼを豊かにしたと信じます」。

 ラオスでの共産主義者との戦争は悪い終りを迎え、数千人のモン族が処刑され、メコン川を越えて逃げるか、共産主義の再教育キャンプへ送られました。

 多くはミネソタ州のような馴染みのない新地に移住される前、タイ国の大規模な難民キャンプで何年かを過ごしました。

 1997年、花崗岩に刻まれた「ラオ族・モン族記念碑」がバージニア州のアーリントン国立墓地に設置されました。

 2000年、モン族の退役軍人はモン族退役軍人帰化法(the Hmong Veterans' Naturalization Act)によって、迅速に処理された市民権の資格を得るようになりました。

 ラオ族・モン族全国会議はバージニア州、アーリントンの公共政策分析センター、ミネソタ州ラオ族アメリカ退役軍人社(the Minnesota Lao Veterans of America, Inc.)、ミネソタ州ラオ族ファミリー・コミュニティ社(the Lao Family Community of Minnesota, Inc.)の協賛を得ています。


 ベトナム戦争で現地人が多く活用されたことは知られていますが、モン族とラオ族については具体的には知りませんでした。米軍はこのように現地人を使います。そういう意味では、戦後、日本に自衛隊が作られたときも同じように考えたはずです。

 ベトナム戦争後、多くのベトナム人が米国に渡ったことは、よく知られています。それ以外にも、ラオスでCIAの活動に加わった人たちがいて、いま、彼らが自分たちの権利を求めて米政府に訴えを起こしているのです。

 戦争の影響は長く尾を引くものですが、ベトナム戦争が終わったのは1975年です。44年もの月日が経っていますが、いまでもこういう問題が浮上するのです。これは戦争の影響を軽く見るべきではないという教訓です。慰安婦問題がいまになって問題になることも不思議ではありません。

 ベトナム戦争ではCIAが米軍の中に大きく進出して指揮統制を行いましたから、ラオスではCIAの活動に米軍の教育を受けたラオス人が多く参加したのでしょう。秘密の作戦だったものの、ラオス人にとっては軍務そのもので、それゆえに退役軍人としての身分を確立したいのでしょう。

 色々と考えさせられることがある記事です。

 


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