再燃する病院船建造は是か非か?

2020.3.22


 新型コロナウイルス「COVID-19」の世界的な流行の中、病院船を持てとの議論が起きています。船に病院の機能をもた せる病院船は、阪神淡路大震災後に議論が持ちあがったことがあります。COVID-19の流行を見て、この議論が再び持ち上 がりそうです。しかし、病院船は効率的な設備にはみえません。

病院船の能力

 病院線も規模は様々です。米海軍が持つマーシー級病院船はニミッツ型空母に近い大きさで、手術室12室、集中治療室80 床、 術後回復室20床、中間治療室280床、軽症治療室120床、限定治療病室500床で、最大で1,000人を収容できます。 このような大型の病院船を構想することは無理があります。予算面で近いイギリスにはアーガスがありますが、これはもともとは 航空支援艦で、ヘリコプター用の甲板を持ちます。後に病院機能も持つように改造されので、病院専門の艦ではありません。アー ガスには手術室4室、集中治療室20床、一般病床90床があります。

 3月22日現在で国内の感染者数は1,046人で、入院している者は648人です(データはこ ちら)。病院船をCOVID-19の感染者を収容するために用いたと仮定すると、マーシー級の設備が必要にな り、アーガスではまったく足りないことが分かります。

 米政府はマーシー級病院船2隻をCOVID-19の対応のために出動することにしましたが、マーシーはまもなく整備のため にドック入りするのを延期して準備をはじめました。同型艦のコンフォートは整備のためにドック入り中で、出発を急いでも数週 間かかる見込みでした。マーシーは通常、命令を受けてから5日間の準備で出発します。今回も同程度の準備期間が必要とみられ ています。整備のために使えない期間があることを考えると、病院船は少なくとも2隻必要です。1隻では整備のために、まった く使えない恐れがあります。

 船で活動する医療従事者は陸上の軍病院から派遣されます。通常、病院船は最低限の職員によって維持されていて、必要に応じ て人員を集めます。マーシー級の場合、普段は民間人12名、軍人58名で、活動するときは民間人61名、軍人1,214名に なります。アーガスは乗員が130人、医療スタッフが200人です。

 病院船の構想が、COVID-19のような事態に、感染者を病院船に収容するのが目的だとすると、マーシー級の船が必要で す。さらに、自衛隊の医師、看護士を事前に用意しておく必要があります。また、アメリカは病院船にCOVID-19の患者を 集めるのではなく、通常の患者を集め、陸上の病院にCOVID-19の治療に専念させることを目的としています。

 病院船があれば、大規模な自然災害でも現地の病院が使えないのだから安心だという意見も、現実的ではありません。病院船は 比較的大型なので、漁港のような小さな港には入れず、大型船用の港にしか接岸できません。津波で港が壊れた場合、海底がどう なっているか分かりませんから、座礁を避けるために入港はできません。沖合に停泊して、ヘリコプターや小型船で患者を運ぶこ とになります。そういう手間を考えたら、被災地から近隣地域へ患者を運ぶのと手間はさほど変わらないということになります。 交通網が遮断されるような災害では、ヘリコプターで患者を病院へ運ぶ方が簡単です。ヘリポートの整備など、そのための手段を 確立すべきです。

 COVID-19のような伝染病の場合、患者は全国に点在しており、それらを病院船まで運ぶのは、病原菌の漏洩を防ぐ必要 もあって面倒です。

 大規模な伝染病に病院船で対処するという発想は、感染者を遠ざければ安心という、「厄介者払い」の発想でしかなく、非建設 的です。

 広範な被災地からどうやって患者を陸上の病院まで運ぶかといった手段の確立、訓練を地道に行う方が現実的です。

 余談になりますが、アメリカはアフガニスタンに戦闘部隊を置いていますが、これまで病院船を派遣することはありませんでし た。バグラム空軍基地に十分な病院施設があり、隣には軍用犬の病院もあります。ここであらゆる治療が可能です。様態が安定し た負傷兵(犬も)は輸送機でドイツに運ばれ、さらに治療を受けます。

 COVID-19を巡る医療機関の混乱は、大規模な感染症に対する訓練や設備の準備を怠ってきた医療界に原因があります。 そこに目を向けず、病院船を建造して満足するのは愚かです。

戦争への転用

 もともと、病院船は戦争のための装備です。

 2月14日、河野太郎防衛大臣は防衛省での記者会見で、海上自衛隊に検討を命じたと発言しました。同時に「インド太平洋構 想のなかでも役立つものでもございますので、検討していきたい」とも発言しました。実は、これはこの方面での戦闘で使うこと を示唆しています。

 インド太平洋構想はインド洋と太平洋で①法の支配、航行の自由、自由貿易等の普及・定着、②経済的繁栄の追求、③平和と安 定の確保を確保していくこと指します(関連記事はこ ちら)。よいことばかりのようですが、これを実現するための道具が海軍力です。オーストラリアも似た構想を持っ ていますが、両国に共通するのは、これら方面への中国の進出を警戒することです。特に、南シナ海の航行の自由は、中東からの 原油の輸送に重要です。

 そこで、日本とオーストラリアは、アメリカと共に上陸作戦の演習をするようになりました。あまり報道されていませんが、去 年、はじめて3か国の軍隊が合同で上陸作戦の演習を行いました。南シナ海の小島の領有に関する武力紛争で日米豪の混成部隊が 上陸作戦を行う態勢が着々と作られています。

 こういう軍事行動のために病院船はなくてはならない装備です。伝染病にかこつけて、海外での戦争の準備もしようという発想 に見えます。

 実は、病院船に関しては、日本と連合軍の両方が故意や不注意により病院船を攻撃した過去があります。病院船は登録が必要 で、定められた形で船体に赤十字のマークを描くことになっています。そうした船を攻撃することはジュネーブ条約により禁止さ れていました。「はるぴん丸」は正式に病院船として登録せずに航行した結果、当然のように撃沈されました。こういう事件が起 きるたびに、日本は国際法違反だと連合国を非難しました。

 しかし、日本軍もジュネーブ条約違反を犯していました。当然、病院船は負傷者の輸送には使えますが、軍隊の輸送には使えま せん。日本軍は病院船「橘丸」で軍人や軍事物資の輸送を行い、それは米軍の知るところとなります。昭和20年8月3日に橘丸 は米海軍の艦艇により拿捕され、武器が発見されたことから、約千5百人が捕虜になりました。

 病院船ではありませんが、日米間で攻撃しないことを取り決めた貨客船「阿波丸」に、日本は協定違反と知りながら軍事物資や 軍人を積載しました。米軍はこれを暗号解読で知っていましたが、上層部は攻撃しない方針を決めました。ところが、昭和20年 4月1日に不注意から米軍の潜水艦が阿波丸を攻撃して撃沈してしまい、2千人以上の搭乗者ほぼ全員が死亡しました。

 このように、攻撃されない権利を持つ船に軍人や軍事物資を積むのは、日本の習慣でした。このような歴史的背景を持つ日本 が、新たに病院船を持つのなら、二度とジュネーブ条約違反を犯さないという注意が必要ですが、議論のひな壇には載っていませ ん。自衛隊がジュネーブ条約の遵守に熱心でないことからも、このことは特に心配です。
 

 


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