アンチ『Unbroken』本の虚構に反論する 第7回
220発のパンチで死なない訳

 

 映画にも登場する日本兵「渡邊」は、懲罰のためにザンペリーニら将校を同じ捕虜に殴らせました。丸谷はこの事件についても不正確な説明をしています。

『日本軍』29〜30ページ

 昭和二〇年六月のある日、直江津の捕虜収容所の調理場から魚が盗まれるという事件が起こった。怒り狂った渡辺伍長は、犯人とザンペリーニ氏を含む元将校出身の捕虜を列の前に立たせ、周囲にいたほかの捕虜たちに顔面を思いきり殴らせることを命じたのだ。将校らには、このような盗みを働く人間をそのままにした責任がある、という理由だ。
 無論、捕虜仲間らは、同じ苦労を共にする将校たちに気を遣うが、そのために相手を軽く殴った者は、同じく殴られることになったため、捕虜たちは仕方なくザンペリーニ氏らを力強く殴り始め、氏もまた「強く殴れ」と仲間に要求。数発食らって足が崩れ落ちたが、それでもザンペリーニ氏は立ち上がり、それに対して渡辺伍長は「次!次!次!」という具合に、さらなる暴力を命じた。
 結局、この連続暴行は日没まで二時間も続き、次の一週間は目も開けられないくらいまで顔が腫れ上がったが、その数は「二二〇発(!)」にも及んだという。つまり、一二〇分で二二〇発だから、単純計算では三〇秒と少しの間隔で一発ずつ顔面殴打を食らったことになる。
 しかし、人間は二時間もの間、二二〇発以上も顔面を激しく殴打されて、顔が腫れただけで済むものなのだろうか。普通なら、失明や脳挫傷、頭蓋骨や首の骨折その他で再起不能になるはずだ。(後略)

 渡邊はこの時点では「伍長」ではなく「軍曹」でした。また「元将校出身の捕虜」も意味不明です。国際法により将校の格式は捕虜になっても守られ、捕虜になっても将校として処遇されます。1929年制定のジュネーブ条約は次のように定めています。

【第二十一条】
(称号及階級の相互通知)戦争開始後直に交戦者は相当階級の将校及之に準ずる者の間に於ける待遇の平等を確保する為に各自国軍内に於て使用せらるる称号及階級を相互的に通知するの義務を有すべし
(将校の待遇)俘虜たる将校及之に準ずる者は其の階級及年齢に相当する敬意を以て待遇せらるべし

 丸谷はそもそもこの事件が起きたことを疑っています。

『日本軍』39ページ

 しかし、ブッシュ氏の本には、ザンペリーニ氏が経験したように、二二〇発も殴られた捕虜がいる、などという話はまったく出てこない。

 ここにも丸谷の不注意の一端が現れています。『Unbroken』の注記にはこの事件の出典が他よりも多く挙げられていて、根拠は複数あるのです。ザンペリーニの話だけでなく、複数の戦争犯罪裁判の書面、アメリカ人捕虜のフランク・ティンカー、さらにイギリス人捕虜トム・ウェードが書いた『Prisoner of the Japanese from Changi to Tokyo』などが並んでいます。ザンペリーニだけでなく、他の捕虜もそれぞれが220発のパンチを受けました。パンチの数はウェードの主張が根拠です。

『Prisoner』「Coalships」

 There were 96 men in the squad and I suppose we were each struck about 220 times.
 部隊には96人の男たちがいて、私はそれぞれが約220回叩かれたと思う。

 パンチが弱かった者はやり直しをさせられたので、1人が何度も殴ることがあり、大体これくらい殴られたろうということです。つまり、弱いパンチの数もこの中に含まれていることになります。

 ウェードとティンカーはこの時に殴られた将校の1人です。『Prisoner』にはこの時の様子が書かれていますが、『Unbroken』とは微妙に内容が異なります。

『Prisoner』「Coalships」

 One morning, sevral men were caught stealing boiled rice and were dismissed with a clout across the ear by the hancho. Instead of curtailing their activities, the pilferers continued to take risks and be caught. Finally when some specially treated vegetable was dipped into, the Japanese demanded that the thieves confess.
 ある朝、数人の男たちが飯を盗むのを見つかり、班長によって耳全体を殴られて許してもらった。活動を減らすこともなく、こそ泥たちは危険を冒し続けて見つかった。最終的に、いくらかの特別に処理された野菜に手がつけられた時、日本人は泥棒に自白するよう要求した。

 ザンペリーニとウェードの記憶は盗まれた物が「魚」と「野菜」で異なっています。 そのため、ヒレンブランドは裁判資料を確認し、ティンカーに電話で話を聞き、ウェードの本を調べたのだと考えられます。いずれにせよ、食べ物が何か盗まれたことは確かで、この事件が渡邊軍曹(当時)の知るところとなり、事件へとつながります。

 さらに、誰が殴られたのかも証言者によって微妙に異なります。

『Unbroken』294ページ

 The Bird called for the work party to line up before him, and ordered the thieves to stand before the group. He then walked down the line, pulling out Wade, Tinker, Louie, and two other officers and making them stand with the thieves.
 バードは彼の前に労働部隊を整列するよう求め、泥棒にグループの前に立つよう命じた。彼はそれから列まで歩き、ウェード、ティンカー、ルイとその他将校2人を引っ張りだし、泥棒と共に並ばせた。

 バードはアメリカ人捕虜が渡邊につけたあだ名です。

『Prisoner』「Coalships」

 But no one else stepped forward. This might have been the true total, but the sergeant kept shouting for more men. Slow minutes passed. Walking round the ranks of workers, Watanabe's eyes rested on me.
 'Wado,he said quietly. 'Go there.'
 'Tinker,' he said. 'Go there.'
 I wandered what was on his mind. Frank Tinker, a young, fair lieutenant in the American Army Air Corps, joined me. We were apart from the pilferers, but Watanabe now told us to join them. We did so, incredulously.
  しかし誰も前に出なかった。これが本当の総数かも知れなかったが、軍曹はさらに男たちに叫び続けた。ゆっくりと時間が過ぎだ。労働者の集団の回りを歩いて、渡邊の目が私に注がれた。
 「ウェード」と彼は言った。「そこへ行け」。
 「ティンカー」と彼は言った。「そこへ行け」。
 私は彼が何を考えているのか判らなかった。若くハンサムな米陸軍航空隊の尉官フランク・ティンカーが私に加わった。我々は泥棒とは分けられたが、いま渡邊は我々に彼らに加われと行った。疑問を持ちつつ我々はそうした。

 ウェードはザンペリーニの名前は書いていません。将校で殴られたのは彼とティンカーだけとなっています。ザンペリーニが殴られた将校が5人だったと言っていることから、ウェードは全員について書いていないと考えられます。確認はできませんが裁判資料にも殴られた将校の証言が載っているはずです。

 さて、ザンペリーニはどの程度の暴行を受けたのかを考えます。丸谷の見積もりは過剰すぎます。あえて仲間の眼球を狙ってパンチを打つ者はいませんから、失明はあり得ません。脳挫傷は外傷で脳組織が挫滅することですから、頭部を相当に強く殴らないと起こらず、素手では困難です。頭蓋骨と首が折れるには相当な力で殴る必要があります。 日本兵が捕虜に強いたパンチはどんなものだったのかについては『Devil』に手がかりがあります。

『Devil』「If Goat Die, You Die!」

 The Japanese usually hit with the inside of a close hand; they didn't know about knuckle punching.
 日本人はいつも握った手の内側で打った。彼らはナックルパンチを知らなかった。

 日本兵の戦争体験には上官に殴られたとか、互いに殴り合いをさせられたとかいった話が登場するものですが、こういう場合、拳で殴るのではなく、握った手の内側で殴るのが普通です。捕虜収容所で日本兵は捕虜に対して自分たちに行うのと同じ制裁方法を使いました。捕虜をお互いに殴らせる場合も同じだったはずです。捕虜たちは日本兵の殴り方を見て、ナックルパンチを使う必要がないことを学んでいたはずであり、握った手の内側で殴ったろうと考えられます。

 プロボクサーのパンチと比較してみましょう。プロボクサーが一試合で受けるパンチは数百発の範囲で様々です。220発を越えることもあり、400発、500発という事例もあります。それでもプロボクシングで重傷者や死者が出ることは希です。その内の半分が顔面へのパンチだったとすると、ザンペリーニらが受けたパンチに近い数になります。ボクシングの場合、互いに動きながら攻撃しているので、ザンペリーニらの場合とは差はありますが、プロボクサーがこの程度のパンチを受けて重傷や死亡に至らないことは評価の一助になります。何と言っても、ザンペリーニと共に殴られた捕虜が1人でも重傷を負ったり、死亡した事実がないのですから、虐待の程度もそれに応じたものと考えなければならないでしょう。

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