戦争の心理学 人間における戦闘のメカニズム
 本書は、「戦争における『人殺し』の心理学」の著者、デーヴ・グロスマン氏による続編といってもよい内容で、今回は警察官のキャリアを持つ専門家ローレン・W・クリステンセン氏との共著の形をとり、警察官の銃撃戦や格闘の体験も含んでいます。

 日本の自衛隊、警察、そして消防も含めた組織は、この本を大量に購入して読むと、大いに参考になるところがあるでしょう。銃撃戦や格闘の際には、法執行官(軍人、警察その他、武力を行使する任務に就く者を本書ではこう呼称しています)に固有の心理状態が起こりやすく、それは戦闘に支障を来たす場合があり、事後も心理的な不安定をもたらす恐れがあることを、本書はさまざまな実例をあげて説明しています。

 たとえば、戦闘時の心拍数を5段階に分け、175回/分になると認知行動能力が低下し、血管が収縮し、視野が狭まる(トンネル視野)、奥行き感覚の喪失、近視野の喪失、排他的聴覚抑制が起こります。さらに心拍数が上がると、行動が不合理になり、大失禁が起こりする一方、走ったり突撃する能力は最大になると、説きます。これらの現象のために、実に奇妙な体験を法執行官たちは体験します。排他的聴覚抑制ひとつを取ってみても、日常生活とはかけ離れています。これは、敵対者の銃声ははっきりと聞こえるのに、自分が発砲した銃声は聞こえないか、きわめて小さくしか聞こえないという現象です。このために、拳銃が故障したと思い込んで、犯人を追跡しなかったという警察官の実例が載っています。こうした不可解な現象が起こるため、法執行官の中には、長年、自分は異常なのではないかと思い悩む人がいますが、本書はそれらは自然な現象であり、それを事前に知っておくことで問題を防止できると説きます。

 また、「自動操縦」と呼ばれる、実戦でも不合理なまでに訓練どおりに行動すること、視覚が通常以上に鮮明になったり、時間が延長されるように感じたり、一時的な麻痺が起こったり、記憶が消失したり歪んだりする現象が起こるといいます。たとえば、FBIは2発撃っては銃をホルスターに収める射撃訓練をしていたのですが、実戦でも2発撃つとホルスターに収めてしまう捜査官が出たために、この練習方法を止めたといいます。ある警察官は同僚が撃たれ、確かに体から血が吹き出すのを見たのに、犯罪者を射殺したあと、同僚が被弾していないのを知って愕然としたといいます。銃撃戦の最中に現場で自分の子供の姿を見た警察官、死んだ相棒がすれ違ったパトカーの助手席に座っていたのを見た警察官。これらは過度のストレスが生んだ幻覚です。

 同僚が死んだ時に罪悪感を感じるのは自然なことです。しかし、戦いで生き残った者にはなによりも生き残ったことに強い喜びを感じる「生存者多幸症」という傾向があります。この感情は「同僚が死んだのに、自分が助かったことを喜ぶなんて」という強い罪悪感を生む危険があります。こうしたことも、それが自然な感情であり、誰にでも起こることだと事前に知っておくことで防止できるのです。

 本書は、前著以上に、多くの事例をあげ、前著で触れていなかった部分にも切り込んでいます。大領虐殺事件がおきた学校の教師の苦悩もとりあげ、恐怖に直面した場合にどうすればよいかを説きます。戦いに直面した時に著者が推奨する「戦術的呼吸法」は、法執行官だけでなく一般人にも応用できます。これは4つ数えながら、ゆっくりとした呼吸を繰り返す方法で、心拍数を下げ、狭まった視野を取り戻すことができるのです。この呼吸法は、グロスマン氏の妻が出産するときに用いたラマーズ法の呼吸にヒントを得たそうです。

 さらに、著者は学校での暴力事件についても持論を発展させています。前著でも触れていた、暴力的なメディア(ビデオゲーム、テレビ、映画など)が、子供たちの暴力的傾向を助長しているというのです。特に、6歳以下の子供に暴力的なテレビ番組を見せることは、確実にその子の暴力的傾向を増すという主張は注目に値します。また、中学生がテレビを見る時間を減らすと暴力的傾向が減るという実験結果も興味深いものです。驚異的なのは、ある学校で起きた乱射事件で、14歳の少年が放った8発の弾丸中、5発が被害者の頭部に、3発が上半身に命中したという事実です。警察官の命中率は20%程度だというのに、犯行に及ぶ前にマガジン2個分の試射をしただけの少年が天才的なシューターになったのです。著者はこれが自動操縦効果だといいます。少年は暴力的なシューティングゲームの愛好家でした。ゲームで培った技術が反抗にそのまま応用されたのです。それも無意識のうちに。著者は、暴力的なテレビゲームは大量殺人シミュレーターだと断定しています。

 以前に、ある日本の政治家が、暴力的なテレビゲームを批判したら、彼のホームページの掲示板に批判が殺到したという事件がありました。投稿者たちの言い分は「そういうゲームをやったからといって、全員が殺人鬼になるわけではない」ということでした。マスコミも大方、こういう見方をしました。これは理屈に過ぎません。この政治家は正しかったのです。アメリカはこうした問題に関する研究が山ほどあり、医学会は議会を通じて警鐘を発しているのです。私も映像の持つ力を考えると、子供に暴力的な映画を見せるべきではない。特に、5歳の子供のために戦争映画を作るなと主張しています。同級生と殺し合いをする小説「バトル・ロワイアル」が映画化されたときも、類似した騒動が起こりました。驚いたことに、この頃、インターネット上には、子供たちが書いた自作の「バト・ロワ」小説がたくさんアップロードされたのを、私は偶然知りました。ネットに掲載されず、ノートに書き込まれただけで終わった自作「バト・ロワ」は、もっとたくさんあると考えるべきです。そして、作者たちがそれを実行する日がいつか来るのかも知れません。いや、すでに来ているのかもしれません。在校生が大量殺人事件を起こした事例はありませんが、卒業生が出身校の生徒を大量に殺したり、そうしようとした事件は起きています。もし、日本で拳銃が簡単に手に入るとすれば、在校生がクラスメートや教師を殺そうとする事件はいつ起きてもおかしくありません。

 本書を好戦的な内容と見る人もいるでしょう。法執行官の立場を正当化する記述があまりにも多いからです。特に、第四部以降には科学というよりは信仰に近い記述や内容の重複が増えます。訳者も指摘しているように、内容の一部に矛盾もあるように感じられます。しかし、本書がメンタル・ケアに関する本である以上、その著者が法執行官の立場に少しでも疑問を呈することは、提唱するメンタル・ケア自体に対する疑問を生じさせます。戦闘によるストレスを徹甲弾、メンタル・ケアを装甲板とすれば、徹甲弾よりも装甲板の方が強くなければ意味がないのは当然です。よって、読者により強く思い込ませるために、あらゆる表現方法を用いるのは不合理とはいえません。

 また、著者が言う「戦闘学」はまだ立ち上がったばかりの分野であり、戦争という矛盾に満ちたものを扱っていることから、瑣末な表現の矛盾をとらえて批判するのは有益ではありません。「孫子」にしろ「戦争論」にしろ「戦略論」にしろ、すっきりと戦争を解明した本は未だに存在しないのです。まずは、本書に書き込まれている多くの実例に接し、戦闘とはどういうものかを知ることが、戦争という理解しがたい事象を知る術だと考えるべきです。アメリカのほう執行官向けに書かれた本であっても、平和を考えるために使えるという柔軟な考えを持つべきです。 (2008.4.26)

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