聖職者たちは、特に、イラクの法廷が米兵を裁く司法権を持つかどうかに注目しています。彼らは、この合意は国民投票にかけられる前に議会に提出されるべきではないと主張しています。報告によれば、提出された合意では、米兵に軍事行動に関係のない告訴について、イラクの法廷に出頭することを許すだけです。
先日の記事とは随分と話が違うので驚きました。イラクが司法権を獲得するという話は間違いだったのでしょうか。この内容でイラク人が納得しないのは当然です。どうやら、相当に強い対立があり、公開される情報に大きな差が出てくるようです。これは、かなりやっかいな問題です。
アメリカがイラクの司法権を拒む訳には、宗教的な理由もあります。イラクの司法権はイスラム法の影響下に作られています。それで裁かれた米兵がキリスト教徒で、死刑が決まった場合、イスラム教の死刑で殺されることが受け入れがたいことです。キリスト教徒にすれば、それは天国に行けなくなる、非業の死を意味します。
米軍は、武装勢力がこれを利用して、米兵を罠にかける恐れがあると考えます。こっそりと米兵を銃撃し、武装勢力がすぐに逃げ去ると、現場には証拠は残りません。米兵の反撃でイラク市民が死亡した場合、米兵が無実のままイラク法廷で裁かれることになる、と米軍は考えます。実際、こうした事件では、米軍や民間軍事会社の誤認や過剰な実力行使が原因と思える事例が多いのですが、米軍はそのようには考えません。こうした可能性がある以上、むざむざと味方を敵(実際には敵ではないけども、米軍はそう考えます)に渡すようなことはしたくないというのが、軍隊の考え方です。こうした考え方については、拙著「ウォームービー・ガイド 映画で知る戦争と平和」の「英雄の条件」で解説しています。
しかし、今回の合意が認めるのは、軍事行動中を除く米兵の犯罪だけですから、米軍が抵抗する理由はないことになります。非番の時に、基地外に出かける米兵がいるとは思えません。非番中、基地の中でイラク人労働者に対して米兵が暴力をふるったのなら、イラクの法廷で裁かれても仕方がない話です。もっとも、この場合なら、軍法によって処罰できると米軍は主張するでしょう。しかし、軍法は軍隊が活動するために支障のある犯罪を裁くのが主目的で、一般の刑法とは微妙に性質が違います。この点では、イラク側が妥協しない正当な理由があります。