コナミが販売を中止すると決めたテレビゲーム「Six Days in Fallujah」の方法は、珍しく日本が先に報じ、アメリカが後に続きました。military.comが日本での報道とほぼ同じ内容を伝えています。
「Six Days in Fallujah(ファルージャの6日間)」は、ファルージャの戦いに参加した海兵隊員がアドバイザーとして参加して製作されました。アトミック・ゲームス社(Atomic Games)が製作し、コナミ社が発売する予定でした。しかし、イラクとアフガニ市スタンで戦死した兵士の家族を代表する組織「物言う戦死者の家族(Gold Star Families Speaks Out)」は「戦争はゲームではなくファルージャの戦いはどちらでもありませんでした」と主張し、ゲームの販売に反対しました。
すでに歴史となった戦争のゲーム化はこれまで行われていました。あるいは、近未来戦のゲームも存在しました。しかし、進行中の戦いとなると戦死者に対する倫理的な問題が浮上し、製作自体ができなくなることがあります。戦争をゲーム化することに対する嫌悪感は当然の感情ですが、実は戦争はゲーム化に向いています。クラウゼヴィッツが述べたように「戦争は博戯」であり、将校の用兵能力を向上させるために、図上演習(ウォーゲーム)が行われてきたのは事実です。ゲームという言葉からは遊びが連想されますが、ウォーゲームは戦争の基本原則を理解するためには非常に有効なツールです。当サイトで「TacOps」を紹介しているのもそのためです。「TacOps」をやってみれば、ごく短時間で大勢の兵士が死傷することが無理なく理解され、現代戦の激しさに驚くはずです。
では、「Six Days in Fallujah」は販売すべきだったのかという問題には、倫理的な問題とは別に難しい問題が隠れています。まず、販売中止になったので、ゲームの内容がほとんど分かりません。ある記事では、このゲームはゲームが途中で中断され、戦いに参加した兵士のインタビュー映像が表示されると言います。ゲームの興奮度を追求するなら、こうした中断は不要です。もしかすると、このゲームは事実を正しく伝えようとして製作されたのかも知れません。しかし、イラク人武装勢力のインタビューはないわけで、米海兵隊員の視点だけで製作されている点で、アメリカの歴史を描いているに過ぎないことになります。
ゲームによって戦争を疑似体験させることには利点と欠点があります。
欠点はシューティングゲームは時に大量殺人者養成ゲームになりかねないことです。「Six Days in Fallujah」は、報じられるところでは、シューティングゲームです。これについては、当サイトで推奨しているデーヴ・グロスマン氏の著作「戦争の心理学 人間における戦闘のメカニズム」が詳しい解説を試みています。グロスマン氏はシューティングゲームを愛好する青少年がすべて殺人者になるわけではありませんが、実際に大量殺人を行った青少年には明らかにゲームの悪影響が確認され、大人が配慮する必要があると主張します。その理由は複雑なため、ぜひとも本を読んでもらいたいと思います。もう一点は、いくらリアルに表現したところで、そっくりな体験はさせられないということです。たとえば、戦場で耳にする音には、健康を損ねる恐れがあるほどの大音響があります。ゲーム機から健康を損ねかねない、衝撃波を伴うような大音響を出すことはできず、実際の戦争もこんなものであると誤解する恐れがあります。
利点は書籍や映画では表現できない方法で戦場を体験させられることです。書籍は文章から状況を意識の中に構築する能力がないと読み解けません。映画は単一のストーリーを体験させるのが主で、ストーリー選択式の映画は過去に試みられたことはあるものの、一般的ではありません。現場での判断を疑似体験させられるという点では、ゲームという形式は最も優れています。グロスマン氏もある種のゲームには肯定的な評価をしていますし、極度の暴力を描く映画はゲームと同様の悪影響があると指摘しています。しかし、定評を得ている書籍や映画と違い、ゲームは芸術性がないとして、一段低く評価されてきました。そこには偏見もあるかも知れません。私はごく一部のシューティングゲームしか知りませんし、それらは戦闘というよりは「鬼ごっこ」みたいなものだと認識しています。「Six Days in Fallujah」はむしろ専門家の評価を受けるべきだったと、私は考えます。それに戦争を考える材料としての可能性をいくらかは見出せるのです。