military.comによれば、先日、ノルマンディ上陸作戦の記念式典が行われて、海外では大々的な報道が行われましたが、ロシアは西欧がドイツに対する勝利について、ロシアが軽視されていると不満なようです。(関連記事はこちら)
外務省広報官アンドレイ・ネストレンコ(Andrei Nesterenko)は、この作戦は何百万人ものロシア人の犠牲なしにはなかったと述べました。彼は「それ自体がヒトラーの軍隊による最大の打撃を被り、甚大な人名の損失を受けたソ連の重大な役割について語る言葉はありませんでした」「ヨーロッパの開放とD-Dayの式典は、我々の数百万の兵士がヒトラーの軍隊の最精鋭部隊との戦いで血を流して命を賭けなければ…チャーチルの言葉で言う、ヒトラーの戦闘マシンの背骨を折らなければ…実現しなかったでしょう」と述べました。
こうしたロシアの第2次世界大戦に対する見解は、旧ソ連時代から変わっていません。旧ソ連時代に書かれたある本には、太平洋戦争の転回点がミッドウェイ攻略作戦の失敗だという見解は誤りで、スターリングラードでの勝利こそが日本軍の動きを牽制し、アメリカの勝利を支えたと書かれています。この本はソ連軍が記したソ連軍の歴史の本だったと記憶します。本棚を探してみましたが、出てこなかったので、手放したのかも知れません。私はこれを読んだ時にびっくりしたものでした。遥か遠くの地上戦がミッドウエイ海戦に関係があるとは思えなかったからです。
D-Dayに関するロシアの言い分には一理あります。戦いや被害の規模においては、ロシアが戦った東部戦線と米英などが侵攻した西部戦線では、比べものにならないほど前者が大きいからです。人員が多いことだけが頼みのソ連軍は、装備や戦術で優勢なドイツ軍に群がり、叩きのめしたのです。西部戦線と太平洋戦線での地上戦を比較しても、日本軍はソ連軍と同様に米軍相手に死闘を繰り広げました。奇遇にもソ連軍と日本軍は、近接戦闘を行うという点で共通していると言われています。しかし、第2次世界大戦に関しては、ヨーロッパの西部戦線が最も多くメディアに取り上げられます。東部戦線や南太平洋上の島々での地上戦は滅多に取り上げられません。どうしても、アメリカ人は自分たちの先祖であるヨーロッパの戦い、それも自分たちが兵を出している方に関心が向いてしまうのです。国ごとに違った戦争認識が生まれるのは、こうした背景が原因となっています。
それでも、ロシアの主張が全面的に正しいという気にはなれません。もはや、過去の戦争の功績を自画自賛する時代ではありません。こういう習慣を捨て去ることが、新しい国際秩序を確立するステップとなるべきです。歴史は研究される必要がありますが、国家は「戦禍」だけを語るべきで、「戦果」を誇るのは、もう止めるべきです。