military.comによれば、イラク戦とアフガニスタン戦を通じて、はじめて生存中に名誉勲章を受勲する兵士が誕生します。
名誉勲章を受勲するのは、サルバドール・ジュンタ2等軍曹(Staff Sgt. Salvatore Giunta)です。
サルバドール・ジュンタは、2007年にアフガニスタンのコレンガル峡谷(Korengal Valley)で、第503歩兵連隊第2大隊B中隊の小銃チームで指揮官を務めていました。10月25日、彼の分隊は武装勢力に待ち伏せされ、2人の兵士が部隊から切り離されました。ジュンタ技術兵(当時)は、戦友を遮蔽物に引き戻すために敵の銃火の中に危険を冒して進みました。「すべてがゆっくりと動く感じで、私は私ができると考えたことをすべてやりました。それ以上でも以下でもありませんでした」。ジュンタ技術兵と他2人の兵士は敵の居場所を手榴弾で攻撃し、分離された兵士と合流しました。その一人はジョシュア・ブレナン3等軍曹(Sgt. Joshua Brennan)で、ジュンタ技術兵が彼がいると思った場所へ全力疾走したとき、彼は2人の敵戦士が彼を引きずって丘を下るのをみました。ジュンタ技術兵はM4小銃を撃ち、彼らの後を追いかけ、武装勢力1人を殺し、もう1人にブレナンを放棄させ、逃走させました。彼の分隊の残りが追いついて、安全を確保する間、彼は戦友に応急処置を施しました。ブレナン3等軍曹は後に死亡し、別の兵士が1人死に、5人が負傷しました。「私は仲間を助けるために銃火の中を走りませんでした」「私は彼に何が起きたかを知るために銃火の中を走り、我々は同じ岩の陰に隠れて、一緒に発砲しました。私は英雄的とか勇敢なことを何かするために銃火の中を走りませんでした。私は誰もができるはずのことをしました」。現時点では、受勲式の日程は未定です。
ジュンタ2等軍曹の戦いは、最近出版されたセバスチャン・ユンガー(Sebastian Junger)著の「War」でも紹介されています。
もう1人、最近、名誉勲章を受勲することが決まった戦死したグリーンベレー部隊の兵士がいます(記事はこちら)。ロバート・ミラー2等軍曹(Staff Sgt. Robert Miller)は、第3空挺特殊部隊群第3大隊A中隊に配属された武器担当軍曹でした。2008年1月25日、彼の部隊は、アフガンのクナール州(Kunar Province)チェナル・カー峡谷(the Chenar Khar Valley)を、アフガン国境警察部隊のパトロールを支援しました。その最中に、ミラー2等軍曹は、仲間とアフガン兵15人を守って戦死しました。一行は近くの建物に隠れたタリバン兵の待ち伏せを受けました。部隊は武装勢力がいる場所へ近接航空支援を要請しましたが、彼らが爆撃の効果を確認するために接近すると、再び攻撃を受けました。チームの指揮官が重傷を負いました。彼が安全な場所へ移動する時、ミラー2等軍曹はパトロール隊の前面に残り、武装勢力がいる複数の場所へ制圧射撃を撃ち続け、指揮官の命を救いました。機関銃の銃撃で負傷した後も、ミラーはM249分隊支援火器を撃ち、手榴弾をタリバンがいる場所へ投げ続けました。彼の勇気は、チームメートとアフガン兵が隠れ、応戦するのを可能にしました。彼の受勲式は、来月、ホワイトハウスで行われます。
2003年のイラク侵攻以降、名誉勲章を受ける軍人は、全員が戦死した人でした。名誉勲章の受勲要件に戦死したことは含まれていませんが、敵との戦闘において、比類なき武勲を打ち立てた者に与えられるため、自己犠牲をおかして味方を救った兵士に与えられる場合が多く、結果として、戦死した兵士に与えられることが増えるのです。
それにしても、イラク侵攻以降、名誉勲章の受勲は、他のアメリカの戦争に比べても数が少なく、それが対テロ戦の特徴となっていました。敵が正面切って戦おうとしないことが原因だとして、受勲基準を見直す動きもあるほどです。
戦術の変化が原因であるなら、通常の侵攻作戦であったイラク侵攻中に、名誉勲章が多数授与されるはずです。バグダッド陥落までに名誉勲章を受勲したのは、ポール・R・スミス1等軍曹しかいないため、これだけが理由ではないと思われます。私にも理由は明確に分かっていません。
勲章の受勲要件は主観的なものでもあり、武勲とは何かという問題を常に我々に投げかけるものでもあります。単に敵を殺した数なら、空軍の戦闘機パイロットの方が、空爆で沢山の敵を殺しているはずです。しかし、勲章は兵士個人がやったことに対して与えられます。しかし、その評価は微妙です。アメリカの勲章は、日本と違って恩典があります。御存知のように、日本では憲法が勲章への恩典を禁止しています。評価のされ方で、恩典の内容は大きく異なります。たとえば、モニカ・リン・ブラウン技術兵は、敵の銃火の中で戦友を助けたことで銀星章を受勲しました(記事はこちら)。同じように危険に身をさらしたのに、ジュンタ2等軍曹よりも下位の勲章にとどまった理由は、ブラウン技術兵自身が戦闘中ではなかったためです。しかし、兵士自身が戦闘中だったかどうかだけで、危険度が判定できるわけではありません。ジュンタ2等軍曹とブラウン技術兵のどちらが危険を冒したのかは、勲章の東急だけで判断はできないのです。こうして見ると、武勲とは何かという問題を考えざるを得ません。
最近の研究により、こうした勇敢な行為は、兵士が訓練の内容を実戦で逐語的なまでに忠実に繰り返す傾向があるためだと分かってきました。ジュンタ2等軍曹が言うように、スローモーションのように感じられる時、兵士は興奮状態にあり、機械的に動くのです。ブラウン技術兵も同じようなことを述べています。勲章は客観的な評価ではなく、軍の運用上の都合から生まれた主観的な評価だということができます。