ワシントン・ポストが、アフガニスタンで起きた一連の民間人虐殺事件について報じています(過去の記事はこちら)。前の報道にはなかったことを中心に紹介します。
記事によると、犯人たちは殺すだけでなく、頭蓋骨やその他の骨を保管して死体を損壊し、写真に撮っていました。5人が殺人を行い、他の7人はハシシの使用、調査妨害、通報した兵卒に対する報復的襲撃で告発されました。軍は犯行の動機についてコメントしてませんが、軍法廷の書面や調査に詳しい者へのインタビューにより、殺人が本質的に、ハシシとアルコールの愛好者だっった兵士のスポーツとして行われたことを示唆します。裁判はルイス・マッコード合同基地(Joint Base Lewis-McChord)で、秋に行われます。
なお、前の記事で被告の所属部隊が第5ストライカー旅団戦闘団とされていましたが、この記事では7月にアフガンから戻った時に部隊名が「第5」から「第2」へ変更されました。また、被告たちが所属した小隊は、第1歩兵連隊第2大隊B中隊第3小隊であるとも書かれています。
主犯のカルバン・R・ギブズ2等軍曹(Staff Sgt. Calvin R. Gibbs)は、同僚に2004年にイラクに派遣中にやったことで罪を逃れたと話し始めました。それは2006年1月から2007年5月まで派遣されたアフガンでの2度目の派遣中のことでした。
1月15日、カンダハル州メイワンド地区(Maiwand district)で、第3小隊は陸軍将校と部族の長老がラ・モハメッド・カライ村(La Mohammed Kalay)で会議を行うために周辺の警護を行っていました。アフガン男性のグル・ムディン(Gul Mudin)が兵士に向かって歩き始めました。ジェレミー・N・モルロック伍長(Cpl. Jeremy N. Morlock)が、兵士たちが攻撃を受けたという錯覚を作るために、地面に手榴弾を投げました。アンドリュー・ホームズ上等兵(Pfc. Andrew Holmes)は手榴弾を見て、ムディンに向けて武器を発射しました。手榴弾が爆発して、他の兵士がムディンに発砲するのを促し、彼を殺しました。供述は矛盾しています。モルロック伍長はギブズ2等軍曹が彼に手榴弾を与え、他の者たちは事前に計略に気がついていたと言いました。しかし、ホームズ上等兵は何も知らず、モルロック伍長がそうしろと命じたから発砲したと言います。
モルロック、ホームズ、ギブスは発砲により殺人で起訴されました。
2月22日、マラック・アグハ(Marach Agha)は、第3小隊が配置された、カンダハル州のラムロッド前哨基地(Forward Operating Base Ramrod)の近くでライフル銃で撃たれて死亡しました。軍はこの事件について詳細を発表していませんが、ギブズ、モルロック、マイケル・S・ワグノン技術兵(Spc. Michael S. Wagnon)が殺人で起訴されています。ワグノンはアフガン人の死体から取った頭蓋骨を所有していた件で起訴されています。彼は2010年の1月〜2月の間に頭部を手に入れたとされますが、法廷書面は頭部が彼が殺したアフガン人ものかどうかを特定していません。ワグノン技術兵はイラクに続いて、アフガンで2度目の派遣中でした。
ギブズ、ワグノン、 ロバート・G・スティーブンス2等軍曹(Staff Sgt. Robert G. Stevens)、ダレン・N・ジョーンズ3等軍曹(Sgt. Darren N. Jones)、アシュトン・A・ムーア上等兵(Pfc. Ashton A. Moore)の5人は、3人のアフガン人を銃撃しました。書面は銃撃の正確な日、犠牲者の特定、負傷の有無などの基本的な詳細を提供していません。
第3小隊の隊員たちは、5月2日に次の犠牲者を見つけました。ギブズ、モルロック、3ヶ月前に陸軍に事件を通報したアダム・ウィンフィールドは、ラムロッド前哨基地の近くで、アフガン人の聖職者ムラー・アダダッド(Mullah Adahdad)に手榴弾を投げ、致命的な銃撃を行いました。ウィンフィールドの弁護士は、彼の依頼人は発砲を命じられたものの、高く撃ち、狙いを外したと言います。両親は息子が起訴されたのは理解できないと言っています。
憲兵隊は最後の殺人から数日後に、偶然、事件を察知します。憲兵隊は、ハシシ使用に関して第3小隊を調査していました。ある兵士が憲兵隊と話したという知らせが漏れると、彼らは情報提供者にパンチ、キックを浴びせ、首を絞め、さらに地面を引きずりました。それから、ギブズは彼がアフガン人の死体から収集した指の骨を脅すために投げました。しかし、情報提供者は再び憲兵隊に殺人について聞いたことを話しました。
それから、また米海軍で解任事件が起きているので紹介しておきます。解任されたのは、誘導ミサイル潜水艦オハイオ(Ohio)のロナルド・ゲロ大佐(Capt. Ronald Gero)で、理由は不適切な個人的行為(記事はこちら)。また、駆逐艦マハン(Mahan)のチャールズ・マンスフィールド中佐(Cmdr. Charles Mansfield)が、部下を殴ったために暴行および将校にあるまじき行為の両方で有罪になったため、空母セオドア・ルーズベルトのデビッド・スティット最先任上級兵曹長(Master Chief Petty Officer David Stitt)が調査官に嘘をついたために解任されました(記事はこちら)。最先任上級兵曹長は艦に一人しかいない、最高位の下士官です。
前回の記事と多少食い違う部分がありますが、そのままにしてあります。これでまた少し、事件の詳細が見えてきました。
こうして見ると、イラクですでに民間人の虐殺事件が起きており、それがアフガンへ引き継がれていることが分かります。しかし、イラクで起きた虐殺事件で起訴された事例は僅かです。その背後に、さらに多くの事件があることが想像されます。アメリカはテロ対策のためにイラクに軍隊を派遣し、さらに問題を大きくしている恐れがあるわけです。この事件は、アルカイダやタリバンに、宣伝の材料を与えました。「外国に軍隊を派遣しろ」と叫ぶ前に、こういう問題が起きる可能性も検討すべきなのです。軍隊はマスプロ教育であり、特に問題のない者には、基準をクリアすれば所定の資格を与えて、仕事をさせます。そうした者の中に、こうした異常な行動を行う者がいてもおかしくはありません。
ところで話は変わりますが、アフガニスタンの国政(下院)選挙におけるタリバンの攻撃が随分と増えたように思われたので、昨年の2回目の大統領選挙と比較してみました。
しかし、テロのレベルが前回並みなのか悪化したのかは、簡単に判断できませんでした。投票所の数に関しても、昨年8月20日に行われた大統領選挙と今回では、有権者数が前者が約1,700万人、今回が約1,140万人と発表されています。これほど変わるはずはないので、数字自体が誤っている可能性もあります。
AFPの記事では投票所は、大統領選挙では約6,700ヶ所が設置され、約400ヶ所が閉鎖。今回は約6,800ヶ所を設置し、4,632ヶ所で投票が行われたといいます。閉鎖された投票所がかなり増えていますが、これはカンダハル州で戦闘中のためかも知れません。それを確認できないのが残念ですが、この地域での昨年の大統領選挙の投票率は10%程度とされています。
NHK解説者の田中浩一郎氏のコラムによると、大統領選挙では投票日の攻撃で20人以上が死亡したとされています。問題は、この数字がこの日のテロ攻撃すべての死者数なのか、投票妨害に起因すると特定できた数字なのかが分からないことです。今回の死者は14人以上とされています。閉鎖された投票所が大幅に増えたのに、死者は減っているわけです。
投票率ですが、2004年の初の大統領選挙では75%。2009年の2度目の大統領選挙では35%。今回は40%程度との観測が出ていますから、あまり変化はないようです。
テロの選挙への影響が昨年よりも大きいのか小さいのかは判断が困難です。長期的には減っている点を問題視すべきかも知れません。