カルザイ大統領の弟が暗殺さる
military.comによれば、アフガニスタンのカルザイ大統領の弟、アーメド・ワリ・カルザイ(Ahmed Wali Karzai)が殺害されました。
ワリ・カルザイはカンダハルの自宅でボディガードに暗殺されました。病院によれば、彼は頭部と胸に1発ずつ銃弾を受けました。殺人の動機は特定されません。タリバンが犯行声明を出しました。目撃者は、ワリ・カルザイの個人的な警護チームのメンバーがAK-47で彼を殺したと言いました。匿名の人物は、他のボディガードがすぐに暗殺者を銃殺したと言いました。
記事の半ばは省略し、過去のワリ・カルザイ暗殺未遂の部分を紹介します。
2009年、ナンガルハル州(Nangarhar province)で、ワリ・カルザイの車列がロケットと機関銃を撃つ武装勢力に襲撃されました。ボディガードの1人が死亡しましたが、彼は無傷でした。この攻撃は、4人のタリバンの自爆犯がカンダハル州の議会事務局を襲撃し、ワリ・カルザイが自分を狙ったと言った攻撃で13人を殺害してから2ヶ月未満に起こりました。タリバン広報官は、攻撃は建物を狙ったものだと言いました。ワリ・カルザイは2〜3分前に建物を出ました。
ワリ・カルザイは2008年11月の、一行が州議会事務所の内部で有権者の不満を聞いているところへの攻撃も生き残りました。自爆犯は議会事務局まで石油を積んだタンクローリーを運転し、車両を爆破して、6人を殺し、40人以上を負傷させました。州議会の議員2人が負傷しましたが、ワリ・カルザイは無事でした。
ワシントン・ポストが暗殺の状況について詳しく報じています。
犯人はワリ・カルザイの長年の親友、サーダー・モハンマド(Sardar Mohammad)でした。米当局者によれば、モハンマドがワリ・カルザイの厳重に警備された自宅に到着した時、ワリ・カルザイは部族長や政治家と会議をしていました。警察指揮官のモハンマドは非武装であることを護衛に示すために銃1丁を引き渡し、共有すべき重要な情報があるとカルザイに言いました。彼らが個室に入った時、彼は1枚の紙をカルザイに手渡しました。彼はそれを読み、モハンマドが2丁目の銃を撃ちました。モハンマドは護衛に撃たれました。タリバンはカルザイ殺害で犯行声明を出し、米当局者は武装勢力のグループが、カルザイの先祖の村で検問所を指揮するモハンマドを感化した可能性を認めました。しかし、他の者たちは武装勢力が犯行を認めたことに懐疑的でした。
これまで何度も暗殺されそうになったワリ・カルザイが、遂にタリバンに殺されました。色々と悪評の高い人物でしたが、BBCが最近撮影した映像で見る彼は、穏やかなイスラム人に見え、このことは私の彼に対する評価を混乱させています(ビデオ映像と記事はこちら)。過去の記事では、彼の存在がカンダハル戦を不成功に導くとまで書かれたものです(関連記事はこちら)。一方、悪評にも関わらず、彼は評価もされた人物でした。
暗殺の手口は鮮やかで、簡単にワリ・カルザイに近づけたのも道理でした。
タリバンの犯行声明はあてにならない場合もあります。自分たちでやっていないことをやったと宣言したことが過去にありました。犯人がワリ・カルザイと個人的に親しい人物であることが、私には引っかかりました。個人的な理由が背後にある可能性を否定しない方がよさそうです。モハンマドがカルザイに渡した手紙には、何か手がかりになることは書かれていなかったのかが気になるところです。
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