ベイルズが基地へ戻った理由は闇の中
military.comによれば、ロバート・ベイルズ2等軍曹(Staff Sgt. Robert Bales)が米兵の注意をひくことなく襲撃を行った方法について疑問を提起しています。
訴状は事件が起きた順序やその内容を含んでいませんでした。ベイルズはブランディ村(Balandi)とアルコザイ村(Alkozai)でアフガニスタンの子供9人と大人8人を殺したとされます。調査官たちはベイルズが一つの村で人々を殺してから基地に戻ったと考えています。調査に関与している米当局者は、彼らはベイルズがなぜ基地に戻ったか、どれだけ長くそこにいて、何をしたかは分かっていないと言いました。彼は2度基地を出て、基地に戻る前にもう1つの村で民間人を殺しました。彼が2度目に基地に戻る途中、米軍の捜索隊が彼を発見しました。彼は戦うことなく降伏したと報告されました。米当局者は、ベイルズは最初に基地を出た時に9mm拳銃とグレネードランチャーを装備するM4小銃を持っていたと言いました。
military.comによれば、アフガン軍の中尉がイギリス兵2人を殺害しました。彼はタリバンの侵入者ではなく、何年も陸軍に勤務していました。1月以降、アフガン人の仲間に殺されるNATO軍兵士は16人で、今年アフガンで死んだ91人では6人に1人となっています。月曜日にヘルマンド州(Helmand province)の州都、ラシュカル・ガー(Lashkar Gah)で、グル・ナザル中尉( Lieutenant Gul Nazar)がイギリス兵2人を銃撃して殺しました。ナザルも殺されました。同じ日に、パクティカ州(Paktika province)で地元警察官が米兵1人を殺しました。タリバンはラシュカル・ガーの攻撃は17人に虐殺に対する報復だと言いました。しかし、ナザルの指揮官、サイド・マルク大将(General Sayed Maluk)は、この主張を否定し、中尉は疑われたり、悪い記録もなく、タリバンとのいかなる接触もないと言いました。彼は陸軍5年間勤務し、2度目の兵役を終える寸前でした。マルク大将はラシュカル・ガーの基地に指揮官を集めました。「しかし、NATO軍の兵士がゲートを開けなかったらしく、彼は怒って彼らを撃ちました」と彼は言いました。
ベイルズは午前1時30分に戻ってくるのが目撃され、午前2時30分に出て行くのをアフガン兵が見ています。ベイルズが基地を事件当夜に出入りしていたことは、米兵の見張りは何をしていたのかという疑問も湧きます。明確な情報が出てこないのは、米軍の恥につながることなので、明言する者がいないためでしょう。ベイルズの行動も、酒の影響と考えるのが最も可能性が高いのですが、行動が長期間、広範囲にわたっており、酒の影響が途切れてもおかしくないように思われます。もちろん、酒の影響は人により様々だとも言えます。やまり、まだ事件に関する重要な情報が開示されていないと思われます。現段階では結論は出せません。
イギリス兵の銃撃はタリバンではなかったようですが、パキスタン軍人24人を殺した誤爆事件で、米軍は関係者を処罰しないことを決めました(記事はこちら)。こちらでも報復行為が起きる可能性があります。
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