イラク軍がドゥルイアをイスラム国から奪還

2014.12.31


 alarabiya.netによれば、イラク軍は火曜日、イスラム国に数ヶ月間占領されていたドゥルイア(Dhuluiyah・kmzファイルはこちら)を奪還しました。

 政府派の軍隊はバグダッド郊外90kmに位置する街へ、2日前に北から進入し、南へ進撃しました。「イラク軍と警察、民兵、部族の戦闘員はドゥルイアの支配を奪還しました」と陸軍少将は言いました。軍用車両50台が北から前進し、街南部のジュブラ地区(Jubur)で、イスラム国に抵抗する市内の同盟軍と合流しました。「これはドゥルイアの完全な解放と(イスラム国)の駐留の終わりを意味します」。

 この作戦に参加したシーア派民兵バドル(Badr)の指揮官は、ドゥルイアの完全な解放を確認しました。「我々はジュブラ族に対して(イスラム国が)設置した障害物を突破するのに成功しました」と指揮官はいいました。

 人々は空に発砲し、車のクラクションを鳴らして祝いました。街はディヤラ州(Diyala)とサラディン州(Salaheddin)を結ぶ道路上にあり、戦略的に重要です。

 10月、イラク軍はドゥルイアをイスラム国から奪還しましたが、その後、イスラム国は反撃を開始し、土地を取り戻しました。

 日曜日から、スンニ派部族とシーア派民兵に支援されたイラク軍は、街のあちこちに民兵が仕掛けた爆弾とその他の爆発物を取り除きました。


 記事は一部を紹介しました。

 先日、読者からバイジでイラク軍が負けたという情報を戴いていました(投稿はこちら)。バイジはドゥルイアから120km北にあります。

 それよりもバグダッドに近い場所で、イラク軍はなんとか勝てたようです。こんな首都の近くまでイスラム国が進出していることは驚きです。それでも、北から進撃したことは、事実上、イスラム国は包囲に近い状態だったことを意味します。ドゥルイアがイスラム国の突出した戦線だったのかも知れません。この辺にイスラム国の戦術の理解しがたい部分があります。

 余談ですが、先日、内容を批判した映画『フューリー』が、早くもインターネットで見られるようになったようです(批評文はこちら)。米国のみのオンライン公開ですが、アメリカでの劇場公開が10月15日ですから、2ヶ月足らずでネット公開は珍しいことです。

 


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