ヤルモク難民キャンプで停戦が実現
BBCによれば、国連が仲介した取り引きで数千人のシリア反政府派とその家族がダマスカス(Damascus)にあるヤルモク・パレスチナ難民キャンプ(Yarmouk)の中と周辺から立ち去りました。
依然微妙な段階にある取り引きは、反政府戦闘員と政府間の合意を含みます。イスラム国の戦闘員が彼らの拠点ラッカ(Raqqa)への安全通行を与えられることを見込めます。狙いはそこに囚われている18,000人とされる人々に支援を受けられるようにするため、ヤルモクを再び安全にすることです。
4月、イスラム国民兵はキャンプに侵入し、その大半を占領しました。ヤルモクはイスラム国、ライバルのアル・ヌスラ戦線、政府支持派と反政府派のパレスチナ民兵によって地域に分割されています。政府軍は民間人が立ち去らないように周辺地域で検問所を維持しています。
提案された取り引きで、金曜日早々に戦闘員がヤルモクと隣接するハジャル・アル・アスワド(Hajar al-Aswad)とアル・カダム(al-Qadam)から撤退を始めました。どのグループが関与したかは明確ではありませんが、人権団体「the Syrian Observatory for Human Rights」は負傷したイスラム国民兵と彼らの家族がこれらの退去に含まれていると報告しました。
BBC 中東アナリストセバスチャン・アッシャー(Sebastian Usher)の分析
今年早く、潘基文国連事務総長(UN Secretary General Ban Ki-moon)はヤルモクを「地獄の最も深い環」と呼びました。取り引きが成立するならば、関与する者たち全員に利益がなければなりません。一度、ヤルモクが安全になれば、国連は難民に自由に支援を与えられます。シリア政府はその戸口から潜在的な脅威を取り除きます。負傷して消耗した反政府派は別の日に戦うことができます。イスラム国戦闘員はラッカへ安全に通行します。戦闘員すべてに興味があった時、類似した取り引きはシリアのあちこちで結ばれてきました。それは国連が築こうとするモデルです。和平への努力が新年に再開すると、それは包み込んだ暗闇の中で一つの小さな明るい点となり得ます。
人権団体は何台かのバスがすでに彼らをシリア国内のイスラム国の支配地域へ連れて行くためにアル・カダムに到着したと言いました。今月早く、政府側のメディアは政府とイスラム国、アル・ヌスラ戦線との取り引きが国連の保証の下で、ヤルモクとハジャル・アル・アスワドからラッカ、イドリブ州(Idlib)へ両方のメンバーに安全に通行させると報じました。
ヤルモクは1948年のアラブ・イスラエル戦争を逃れたパレスチナ人のために最初に建設されました。2011年にシリア内戦が始まる前、そこには150,000人以上の難民がいました。過去2年間、3,500人の子供を含むキャンプの中に囚われている者たちは常に食糧補給、衛生的な水と医療を得られていません。
記事は一部を紹介しました。
イスラム教の国で「クリスマス停戦か?」と思える動きです。
記事には4月にイスラム国がヤルモクを占領したと書いています、当サイトでも記事を紹介していました。その後、ここは競合状態でした(関連記事はこちら 1・2・3・4・5)。
とにかく、キャンプ内の難民には朗報です。支援団体が支援物資をキャンプ内に運び込めます。ここの窮状は何度も書いてきました。普通、イスラム教ではペットを食べてはいけないと教えますが、あまりの飢餓状態に聖職者が犬と猫は食べてもよいと、嘆きながら命じたほどでした。ここは世界から完全に見捨てられた場所です。酷い飢餓状態が人工的に作られているのに、世界はほとんど関心を示していません。パリで小規模なテロ事件があったら大騒ぎするのに、それよりも遙かに多い人たちが窮地に陥ってもほとんど同情されていないのです。
人はそれはヤルモクの難民だけの問題だと考えがちです。しかし、彼らの窮状を軽視した結果、アルカイダだけでなくイスラム国が勃興し、テロ事件が各国で起きているともいえます。多分、我々はどこかでつながっていて、他人の窮状を無視すれば、いずれ我々にも降りかかるのです。いつ日本にそれが来るのか。それを防ぐ方法はあるのかを考えるべきです。
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