ティクリートの75%がイラク軍の支配下に戻る

2015.3.13


 military.comによれば、木曜日、イラク軍はティクリート(Tikrit)でイスラム国と二正面で戦っています。

 アブドル・ワハブ・アル・サーディ中将(Lt. General Abdul-Wahab al-Saadi)によれば、イラク軍は水曜日に来たと南から最初にティクリートに入り、市街を通って戦い、2〜3日間で市中心部へ到達すると予測したと言いました。イスラム国民兵は、イラク軍を狙撃手、自動車爆弾、重機関銃と迫撃砲で撃退しようとしたと中将は言いました。

 木曜日、民兵はイスラム国が使う携帯無線信号を傍受し、増援の要請と接近した兵士に向けて迫撃砲の砲撃を命令するのを聞きました。サラディンの司令部と戦場とのルート上、自爆攻撃による戦車と車両の残骸が散らかり、家々には爆弾と銃弾で損害を受けた、数ヶ月間の戦争の印があります。

 先月国連が公表したティクリートの衛星写真は、少なくともティクリートしないの536棟の建物が戦闘の影響を受け、少なくとも137棟が完全に破壊され、241棟がひどく損害を受けたことを示しました。

 BBCによれば、イラク軍はティクリートの北と南、西で重要な場所を奪還しました。国防相は攻撃の第2段階がすぐに始まると言いました。

 BBCはイスラム国が塩素ガスをティクリートで武器として使っている証拠を見ました。イラク政府は少量の化学物質がイラク軍を狙って道路爆弾として使われていると言いました。

 サラディン州のサマラ作戦司令部は、政府軍がカデシア(Qadisiya)を占領した後、市中心部に近い工業地帯と祝賀広場を奪還したと言いました。イラク軍は教育病院と市の南東部にあるオウジャ地区(Ouja)と、西部のアル・デューム地区(al-Diyum)とアル・ハヤキル地区(al-Hayakil)も占領しました。

 当局者はイスラム国との戦闘が祝賀広場、西部のアル・ズアー地区(al-Zuhur)、南東部の大統領宮殿施設周辺で起きていると言いました。

 国民動員部隊高官のモイーン・アル・カデヒミ(Moeen al-Kadhim)はティクリートの75%が政府支配下に戻ったといいました。残りの25%は約150人のイスラム国民兵の手にあります。


 記事は一部を紹介しました。

 ティクリート作戦の勝利は明白なので、これからは状況の確認だけにします。

 サーディ中将バイジを僅かな犠牲だけで奪還した名将です(過去の記事はこちら)。彼が現場にいるのなら安心です。

 イスラム国の戦術には全く変化が見られません。同じことの繰り返しです。

 サダム・フセインが建てた大統領宮殿とその関連施設は街中心部の南東、川沿いにあります。工業地帯と共に市中心部にあり、すでに戦闘は街の中心部に及んでいることが分かります。

 元記事のビデオ映像を見ると、イラク軍が道路に仕掛けられた塩素ガス爆弾を爆破処理しているのが分かります。これは巧妙な戦術と言うよりは、爆薬不足を補うために、水道水の消毒用塩素などを流用しているように思えます。

 イスラム国は絶望的な戦いを続けているだけです。

 


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