タンカー「高鈴」攻撃で米兵は死んでいない
昨日になって、「ヒゲの隊長」こと衆議院議員の佐藤正久氏が2004年4月に日本郵船のタンカー「高鈴」がテロ攻撃に遭った時、米軍が命がけで守ってくれたと述べ、だから「互いに守り会うことが大事」と言い、集団的自衛権が必要だと説き、この話に感銘を受けた人たちがネット上で話を拡散していることを知りました。
産経新聞によれば、佐藤氏は最近出版した本「高校生にも読んでほしい安全保障の授業」の中で、この事件を紹介していると言います。佐藤氏は国会でも同様の発言をしています。
この佐藤氏の主張は知っていましたが、それを集団的自衛権の推進に積極的に使っているとは知りませんでした。そして、佐藤氏の主張に感銘を受けたという意見をネット上で数多く見かけられることにも気がつきました。石油は日本にとって重要な資源であり、それを守ってくれた米兵の犠牲に答えるために、集団的自衛権を推進しなければならないとの声が叫ばれるようになっています。
しかし、この考え方は事実に照らしても、国家戦略に照らしても誤っています。そこでできるだけ客観的な資料を用いて、このことを説明します。実はこの件は当サイトで2007年に紹介しているのですが、もう一度さらに詳しく解説します。(過去の記事はこちら)
佐藤氏の発言
まずは、佐藤氏の発言の内容を確認します。佐藤氏は衆議院でもこの話をしています。参議院の議事録によると、佐藤氏は過去に発言しています。
平成26年05月29日 外交防衛委員会
私がイラクに派遣された二〇〇四年の四月に、このペルシャ湾でこの左側のタンカー高鈴、これが武装集団に襲われました。結果として、被弾はし、日本人船員は無事でしたが、アメリカの海兵隊等の若者三名が命を落としました。三名にも若い子供たちがいました。そのときにアメリカが言ったことは、海上自衛隊がインド洋で給油支援をしたこともあって、同じ活動をやっている仲間を助けるのは当たり前だと言われました。
平成26年07月15日 予算委員会
実際に私が派遣されたイラク、二〇〇四年の四月にこのペルシャ湾で日本のタンカー高鈴が武装集団の襲撃を受けました。それを守ってくれたのはアメリカの海兵隊とコーストガード、結果的に三名の若者が命を落としました。彼らにも、奥さんも小さな子供もいました。でも、そのときにアメリカが日本政府に言ってくれたことは、同じ活動をやっている仲間を助けるのは当たり前だと。当時は海上自衛隊がインド洋で給油活動をしていました。だから、同じ仲間と言ってくれました。
戦死したのが海兵隊員等としているのは誤りです。死者は海軍兵士2人と海軍に配置された沿岸警備隊員1人です。死者2人の階級は「Petty Officer(海曹)」であり、これは海兵隊にはない、海軍独特の階級ですし、米国防総省の発表にも「sailor(海軍隊員)」と書かれています。
国防総省の発表
これについて、国防総省は次にように説明しています。速報なので、死者の数が2人になっています。(globalsecurityに掲載された国防総省発表はこちら)
多国籍軍が、ホール・アル・アマヤ石油ターミナル(the Khawr Al Amaya Oil Terminal: KAAOT)に接近するダウ船1隻を発見し、標準洋上阻止作戦(MIO)に従い、隊員をダウ船に乗船させようとしました。8名の隊員が乗った硬質ゴ ムボート(RHIB)が接近すると、ダウ船が爆発しました。それにより、ゴムボートがひっくり返り、隊員を海に投げ出しました。その結果、2名が死亡し、 4名が負傷しました。この爆発から20分後、アル・バスラ石油ターミナル(the Al Basrah Oil Terminal: ABOT)に接近する2隻の小さなボートが発見され、同ターミナルの保安部隊が迎撃し、ボートはターミナルに着く前に爆発しました。
さらにビジネスニュースで「ブルームバーグ」の記事を見てみましょう。この記事も速報のため、死者数は2人です。(記事はこちら)
土曜日、イラク最大の石油輸出ターミナルを守る米海軍は爆発物を満載した高速ボートが阻止線を進入し、施設とタンカー4隻の間近で爆発するのを防ぐのに失敗しました。
米ペルシャ湾艦隊の広報官、ジェームズ・グレイビール中佐(Commander James Graybeal)は、バスラ石油ターミナル周辺の進入禁止区域に入り、爆発して、施設に損害を与えた「ボート2隻に米艦船が攻撃した報告はありません」と言いました。
イギリス海軍、オーストラリア海軍、その他の海軍に支援された艦隊は、バスラ・ターミナルとホール・アル・アマヤのターミナル周辺に2マイルの進入禁止区域を設けていると、艦隊の広報官、リサ・ブラッケンベリー(Lisa Brackenbury)は言いました。
バスラとホール・アル・アマヤはイラク沿岸からそれぞれ約30kmと約15kmの位置にあります。
タンカーに乗っていた目撃者によれば、バスラを狙った高速ボート2隻は損害を与えるに十分なまでに接近し、破片と船体の部品を充填中のタンカーへまき散らしました。ブラッケンベリーはボートはターミナルから約50mで爆発したと言いました。
目撃者の報告では同盟国の艦船は最初の高速ボートの攻撃からほぼ1時間後に到着しました。
タンカーの1隻、高鈴が攻撃で損害を受けたかもしれないと、米主導の占領当局者、ドミニク・ダンジェロ(Dominic d'Angelo)は言いました。
攻撃は3月に米主導の侵攻以来、イラクの石油施設に対する最初の水上攻撃でした。
ロンドンの海洋安全保障コンサルタントのクリス・オースティン(Chris Austen)は「ターミナルから数分以内のところに来られたのなら、施設周辺の防衛の重大な欠点を示しています」と言いました。
ターミナル上のイラク軍はボートが施設に接近すると発砲したとグレイビール中佐はどんな武器が使われたかについて詳細を示さずに言いました。
最初の攻撃で、ホール・アル・アマヤに接近したボートに乗り込もうとした時、米水兵3人が死亡し、他の3人が負傷しました。海軍の声明では、ボートは彼らが到達する前に爆発しました。
もう少し、情報を整理してみます。まずは事件が起きた場所を見てみましょう。石油ターミナルは沖合にあって、パイプラインが洋上に設置されていて、沖合でタンカーへ充填する装置がある施設です。施設は長い橋のような形をしています。タンカーは施設の近くで停泊して、パイプから石油を受け取ります。Wikipediaで施設の写真を見られます(写真はこちら)。
両方の石油ターミナルの座標は次のとおりです。
ホール・アル・アマヤ石油ターミナル 29°47′00″N 48°48′25″E
アル・バスラ石油ターミナル 29°40′54″N 48°48′33″E
この位置をGoogle Earthで見ると次のようになります。両施設は約11kmも離れています。進入禁止区域は上の記事では約3.2kmで、資料によっては3kmと書いてある場合もあります。なので、両施設の進入禁止区域の間には5km程度の自由に航行できる区域があることになります。
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以上を見れば分かるように、事件は離れた場所で起こり、時間的にも20分程度離れていました。戦死者が出たのはダウ船に接近し、乗り込もうとした時で、高鈴が損傷したアル・バスラでの戦闘とは時間も場所も離れていたのです。
ダウ船というのは三角型の大きな帆を持った帆船です。高速は出せません(写真はこちら)。テロ用の船には見えなかったので、接近してしまったのでしょう。その結果、犠牲者が出たのです。
テロ攻撃は直接「高鈴」を狙ったのではなく、石油ターミナルという施設を狙ったものと推定されます。タンカーを破壊するよりはターミナルを破壊した方が効果が高く、爆発しにくい重油を積んだタンカーを爆発させることも困難です。つまり、高鈴はたまたまそこにいたために損害を受けたといえます。
さらに、「高鈴」が攻撃された時、応戦したのはイラク軍で、米軍は発砲していないことも明らかです。つまり、米軍は1時間も経ってから現場に来たのであり、戦闘に参加すらしていないのです。国内報道や佐藤氏の主張では、両方のテロ攻撃を混同し、米軍が応戦し、その結果3人が戦死したということになったのです。
この攻撃の教訓は、日本人もアメリカ人を守ることではなく、石油ターミナルの警備が手薄だったということです。ブルームバーグはその点をしっかりと認識しています。つまり、米兵が死んで気の毒だと考えるのは感情論で、客観論に立てば警備の不備が問題視されるのです。
佐藤氏の主張をもう一度見ると、いかにこの主張が不注意なものかが分かります。事実関係は常に慎重に判断しないと、我々はいつでも間違いをやるのです。ちなみに、死んだ隊員の一人は離婚していて、全員に妻がいるとの説明も誤っています。
本当のところでは、米軍兵士は石油ターミナルを守ろうとして死んだのであり、そのために集団的自衛権を行使すべきだとするのなら、日本はペルシャ湾に自衛隊を常駐させることになります。ここから石油を買う限り、日本は終わりなきテロとの戦いをすることになります。
似たようなことは過去に何度も起きています。1964年、トンキン湾で駆逐艦マードックは来たベトナム軍の魚雷攻撃を受けたと誤認し、反撃しました。米政府はこれを北ベトナム中枢からの命令によるものと判断し、ベトナム派兵を本格化させました。この魚雷攻撃は2度目については存在しなかったとされます。これについては、ソナー要員が自艦のスクリュー音を魚雷と間違えたとか、陰謀だったとか、様々な説があります。1回目の魚雷攻撃は北ベトナム軍の現場レベルの判断で行われたのですが、ロバート・マクナマラ国防長官は後に、北ベトナム政府が攻撃を命じたと信じたために派兵を決断した。そうでないと分かっていれば派兵しなかったと述べています。アメリカの保守派はベトナムに介入したくてうずうずしており、米軍はその為の準備もしていました。そこにちょっとした事件が起きれば、軍事介入は正当化できるのです。2003年のイラク侵攻も同様に、イラクが大量破壊兵器を持っているとの偽情報を根拠に正当化されました。
このように、政府中枢にいる最も情報を持っている人間でも簡単に誤ること、あるいは意図的に誤りをなすことを、我々は忘れるべきではありません。
当サイトで映画『Unbroken』に対する捏造疑惑について、旧日本軍の報告書をあげて、捏造ではない、証明可能な事実だと立証しました(関連ページはこちら)。情報はできる限り一次資料にあたって調べるべきであり、傍証をいくら積み重ねても真性にはならないのです。
軍事戦略上も、佐藤氏のような感情論を優先させることは危険です。個人とのつきあいでは、互いを守り会うことは大事でしょう。国家戦略の場では、そんな倫理観は無視すべき場合が多々あるのです。
第2次世界大戦中、イギリスはドイツの暗号機「エニグマ」の解読に成功しました。それによって、ドイツ軍の潜水艦の位置や空襲の計画を知ることができたのですが、すべてを関係部署に伝えることはしませんでした。イギリス軍が常に対応すれば、ドイツはエニグマが解読されたと察知し、その使用を止めてしまうからです。そこでイギリスはあまり酷い損害が出ない程度に情報を活用することにして、ドイツに暗号が解読されていないと信じ込ませたのです。恐らく、その結果、死ななくて済んだ人が死んだかも知れません。それでも、そうすることがより多くを助けるためには必要だとされたのです。
こんな判断は不愉快極まりないもので、誰だってやりたくないことです。しかし、これが戦争なのです。全体を助けるためには個人を切り捨てる決断をすることもあるのです。また、その為に死んだ人の家族に、国を救うためには仕方がありませんでしたと説明することも適当ではないでしょう。国の力でもどうしようもない問題だったとしか言いようがありません。どうにも説明のしようがない話なのです。テロ事件で殉職した3人の米兵も同じことです。もし私が彼らの立場なら、疑問を持たずにダウ船を臨検しようとして、死んだでしょう。その3人が可愛そうだからといって、日本全体を戦争に巻き込ませることは、より大勢を危険にさらすことになるだけなのです。
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