キール大統領が戦闘の詳細を説明

2016.7.24


 sudantribune.comによれば、南スーダンのサルバ・キール大統領(Salva Kiir)は、この2週間で初めて、7月8日にジュバ(Juba)の大統領宮殿で会議中に戦闘が勃発した時、彼がレイク・マシャル第1副大統領(Riek Machar)に殺されそうになったとの主張を明らかにしました。

 水曜日ジュバで、対立する軍隊の間の戦闘があったJ1として知られる大統領宮殿における中国中央電視台(the China Central Television: CCTV)との最初のインタビューで、キール大統領はマシャルは彼を殺していれば生き残らなかっただろうとも言いました。

 大統領は戦いが勃発した時、マシャルは穏やかで拳銃で大統領を脅さなかったと言いました。

 「彼は拳銃を持っていました……彼は私を暗殺したいかどうかは言わなかった」とキール大統領は、ジェームズ・ワニ副大統領(James Wani)を含めた指導者3人が会議を開いていた宮殿の部屋の中を記者に案内しながら、CCTVに言いました。

 「しかし、我が私を撃たなければならなかったとしても、彼は部屋から出られなかったのが、ここで起きたことです」とキール大統領は付け加え、2人とも死んでいただろうと暗示しました。

 しかし、キール大統領は、彼がマシャルを攻撃的に見えたボディガードから保護し、守り、マシャルへの彼らの振るまいが非友好的に見えた時はいつも警告を出したと言いました。それでも、彼は事件が起きた時にマシャルのボディガードが宮殿の中のどこにいたかは言いませんでした。

 キール大統領は、マシャルが拳銃をポケットの中で手に握っていたにも関わらず、どうやって拳銃を持っているかを知ったかは明らかにしませんでした。

 しかし、CCTV記者にマシャルが拳銃を持っていることを知った時、自分の命を心配したかを尋ねられると、疲れたようにも見えるキール大統領は「全然」「そより私は彼の命を心配した」と答えました。

 彼は宮殿のフェンスの外で戦闘が勃発するとすぐに、彼は副官2人に彼らを守るために一緒に別の部屋へ居場所を変えようと言ったと説明しました。

 キール大統領は、彼とマシャルは戦闘の間、別れ別れにならないように、互いの手を握ろうと決めたとも明らかにしましたが、それが相互の決定だったかや、彼らが彼ら自身を人質にしたのかは言っていません。

 国家元首は、夜に戦闘が止まったあとで、彼はマシャルを彼の車へ連れてきて、ジュベル・クジュア(Jebel Kujur)の彼の住居への無事を祈らなければならなかったと言いました。

 宮殿内で起きたことの詳細な説明は、まだマシャルから直接出ていません。

 どちらが戦いを始めたかについて矛盾する報告がありますが、大統領にインタビューしたCCTV記者は、彼は戦いが救急車が突然、宮殿の門に現れた午後4時30分に始まったと言われたと言いました。

 彼は、発砲を始める合図をするために救急車がサイレンを鳴らしたので、戦いがすぐに勃発したと言いました。彼は救急車がどちらの側のものかは言いませんでした。


 記事は一部を紹介しました。

 マシャル派からも事件時の説明は既に出ています(関連記事はこちら )。しかし、これほど詳細な内容は初めてです。

 中国のテレビ局がキール大統領をインタビューしたということは、中国政府がこの国に利権を持っていることの表れです。日本が自衛隊を派遣し続ける理由の一つはここにあるのかも知れませんが、それなら事件後、日本政府が南スーダンに何か圧力をかけた様子がないのは疑問です。

 喜劇王のチャールズ・チャップリンが来日した時、犬養毅首相の息子が彼を案内しました。レストランにいた時に、日本人の一団がやってきて、何かを要求していきました。ただならぬ気配にチャップリンは、ポケットの中に拳銃がある振りをして彼らを威嚇したといいます。マシャルもそれと同じことをした可能性があります。

 本当に殺す気なら、マシャルはさっさと撃ったでしょう。拳銃をポケットから出さなかったのは、本当は拳銃がないか、護身のためだけにつかうという意思表示です。殺されそうになったというキール大統領の主張はあたっていません。

 互いの手を握ったのは、接近していることで、相手の兵士から銃撃を受けないようにするためで、この事件をどちらか企んだにせよ、計算違いが起きて、戦闘が予想以上に拡散し、収拾がつかなくなったことを意味します。これは2人がよほどの危機を感じたことを示します。

 もう一つ、救急車の件が気になります。合図としても、明らかすぎて、あまりよいアイデアとは思えません。これについてマシャル側がどう言うかですね。すぐにマシャル側もこのキールのコメントに応答すると思われますので、それをよく検討したいと思います。

 


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