レバノン撤退のイスラム国民兵とデリゾール戦

2017.9.6


 alarabiya.netによれば、シリア筋はレイフ・ホムス(Reif-Homs)とデリゾール(Deir al-Zour)の間のシリアの砂漠に滞在するイスラム国民兵113人がシリア政府軍に参加したと発表しました。

 消息筋は月曜日、これらの民兵はデリゾールで戦わないと言っていると言いました。

 シリア政権はパルミラ(Palmyra)で軍隊に参加するイスラム国民兵の家族を確保しました。

 これは、シリア国営テレビが月曜日、軍隊とその同盟軍がデリゾール市から3キロ以内にあると発表した時に起こりました。

 アメリカが率いる国際的な同盟軍は日曜日、イスラム国の車列が2つのグループに分かれたと発表しました。

 一つは依然として砂漠にあり、もう一つのグループはシリア政権が支配する地域へ戻り、食料と飲料水を装備しました。生来の決意作戦(Operation Inherent Resolve)の報道官、ライアン・ディロン陸軍大佐(Army Colonel Ryan Dillon)は日曜日、イスラム国民兵85人が同盟軍の攻撃で死亡し、車40台が破壊されたと言いました。

 8月26日、イスラム国民兵と家族をシリア・レバノン国境のカラマウン西部(Kalamoun)からシリア東部のデリゾールまで運ぶため、イスラム国とヒズボラは合意に署名しました。

 降伏の取り決めの一環として飛び地から避難させられたイスラム国戦闘員と家族は、シリア東部へシリア軍とヒズボラに護衛されましたが、アメリカが率いる同盟軍にデリゾールへの到着を止められていました。

 もともとは17台のバスの10台は、いまや政府派部隊とイスラム国の領域の間の中間地帯で動けず、6台のバスは政府の地域へと退きました。

 alarabiya.netによれば、シリアのバシャル・アル・アサド大統領(President Bashar al-Assad)は火曜日、デリゾールの飛び地を数年間包囲するイスラム国を突破した政府軍兵士を称賛しました。

 「今日、君たちは君たちを助けに来て、街の包囲を破るために最も厳しい戦いを戦った戦友と並んでいます」とアサド大統領はデリゾールの基地で包囲されていた兵士の指揮官との電話で言いました。

 シリア軍と同盟軍の戦闘員は火曜日、デリゾール西端にある第137旅団の基地を訪れ、2年間以上街の一部の包囲を終わらせました。

 alarabiya.netによれば、火曜日にロシアのフリゲート、アドミラル・エッセン(Admiral Essen)が、この地域のシリア軍の攻勢を助けるために、カリバー巡航ミサイルをデリゾール市に近いイスラム国の目標に向けて発射したと、ロシア国防省は言いました。

 地中海から発射された攻撃は、弾薬貯蔵庫と指揮通信所、装甲車を修理する工場、民兵の大きなグループを破壊したと、国防省は言いました。

 この攻撃はロシアと元ソビエト連邦からイスラム国民兵を狙ったと、同省は付け加えました。

 alarabiya.netによれば、デリゾール州でイスラム国がロシア軍が護衛する車列を砲撃した後、ロシア軍隊員2人が殺されました。

 迫撃砲の攻撃を受けた時、車列はロシア人の停戦監視軍スタッフを運んでいました。

 兵士一人は現場で殺され、もう一人は重症を負った後、病院で死亡しました。両方共、死後の軍の表彰を受けました。

 ロシアは月曜日に早くに、空軍がデリゾール市への攻勢で前進するシリア軍を助けていたと言いました。街ではイスラム国が93,000人の民間人と陸軍駐屯地を何年も包囲しています。


 レバノンをイスラム国が撤退して、デリゾールへ向けて出発した話はすでに紹介しました。(過去の記事はこちら

 一部は同盟軍の空爆で死に、一部はまだ砂漠の中で、残りはシリア軍に参加するという不思議な展開になりました。

 しかし、デリゾールが先にロシア軍の手に落ちそうです。クルド軍はラッカを占領するので手一杯なのでしょう。

 いずれデリゾールでも戦闘が起きるのか、それぞれがラッカとデリゾールを占領したままになるのかは分かりませんが、そのときにはアメリカとロシアの関係がどうなるのかという問題もあります。恐らく、表面的に双方とも手を引くような形にして、深刻な対立を回避するでしょう。裏では支援先を支援して、戦いが有利になるよう働きかけるはずです。

 シリア内戦が落着するのは、相当に先の話となりそうです。

 

 


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