アンチ『Unbroken』本の虚構に反論する 第9回
終わりに

 

 ここまで読んだ方は驚かれたかも知れません。いくらなんでも、ここまで多くの誤訳をして、本を執筆する間に気がつかないはずがないと思うでしょう。しかし、私も驚いた一人なのです。

 この原因として、私は彼が相当に不注意である可能性を考えます。例えば、彼はイギリス人捕虜ルイス・ブッシュの手記『おかわいそうに』を何度も繰り返し引用し、『Unbroken』の内容は不正確だ、捕虜に親切にした日本人はたくさんいたと何度も指摘します。引用は第一章からはじまり、全編にわたって繰り返され、それはかなりの数にのぼります。

『日本軍』34ページ

 このような常軌を逸するようなひどい人物がいたことは、ほかの捕虜たちの手記からも確認できる。大森収容所にも、昭和十八年以降に風紀係として入ってきたある伍長がいたが、そのせいで、それまで比較的捕虜たちから「楽しい」と思われていた収容所での生活が一変したと、元捕虜の一人は語っている。

 この伍長はイギリス人捕虜からは「ブラウン」と呼ばれていました。丸谷はこのブラウンが渡邊ではないかと考えました。

『日本軍』38ページ

 この行を読んで、この「ブラウン伍長」とは、まさしく「バード」と呼ばれた渡辺伍長その人ではないかと思った。

 そして、彼は『おかわいそうに』に証拠を見つけます。

『日本軍』38ページ

(前略)そう思って、ブッシュ氏の本をめくってみたら、何と本の最初のページに載った、にこやかな捕虜たちの集合写真の中に「ブラウン」こと渡辺伍長の顔があるのが確認できた。

 『おかわいそうに』には確かに丸谷が言うとおりの写真が載っています。ブラウンは間違いなく渡邊と同一人物です。

 しかし、反証としてこの本を引用することに意味はないのです。なぜなら、ヒレンブランドもこの本を読んでいて、『Unbroken』の資料として活用しているからです。注記には『おかわいそうに』の原題『Clutch of circumstance』が掲載されています。丸谷はこのことに気がついていないらしく、次のようにも書いています。

『日本軍』41ページ

 大森収容所には、日本赤十字社の代表であり、秩父宮の義弟にあたる徳川義知氏が訪れ、イギリス人捕虜のブッシュ氏が渡辺伍長の虐待について話したところ、徳川氏が何らかの手を回したのか、渡辺伍長はその後、別の捕虜収容所への異動になったという。このことは『アンブロークン』のみならず、ブッシュ氏の手記『おかわいそうに』にも書かれている。

 『Unbroken』の注記には徳川の訪問が『Clutch of circumstance』からの引用だと書いてあるのです。だから、両方の本に載っているのは当たり前なのであり、原典は『Clutch of circumstance』なのですが、丸谷はそれを理解していません。批判を試みる本に対する認識があまりにも浅いのです。

 不合理な批判の他に丸谷はアンフェアな批判すら行っています。第一章ではなく第四章の内容ですが取り上げておきます。

『日本軍』162ページ

 実際、『アンブロークン』の中には、日本の捕虜収容所で終戦時に撮影された写真が載せられているが、そこに写った連合軍捕虜たちは、とても「飢餓状態」にあるようには見えず、解放の喜びにあふれて元気そうに笑っている。

 確かに『Unbroken』の316ページにはそういう写真が載っています。しかし、297ページには骨と皮ばかりの捕虜の写真が載っており、321ページには流し台に顔を突っ込んだ姿で絶命し、ミイラ化した捕虜の写真が載っています。写真の説明には、終戦近くに捕虜を救出しようとした米軍とゲリラが餓死した捕虜百150人を発見したと書かかれています。

 おそらく、どちらも本土外の捕虜収容所で撮影された写真と考えられますが、国内の捕虜収容所でも状況は過酷でした。米海軍「Naval history and heritage command」所属の写真に国内の収容所で撮影された捕虜の写真があります(写真 )。ザンペリーニがいた収容所でも飢餓が起きていたのです。キャプション中に「Aomori」と書かれているものがありますが、これが横浜の近くにあったとも書かれているので「Omori」の誤りであり、大森捕虜収容所を指します。普通の体格の捕虜は終戦近くに捕まった者と考えられます。
 
 丸谷はこうも書いています。

『日本軍』48ページ

 ヒレンブランドは、歴史学の教授になるのが夢だったそうだか、こんな本を書く前に、アカデミズムの世界で一度は徹底的にしごかれた方がよかったのではないかと思う。(後略)

 しかし、丸谷の手法はアカデミックとは到底言えず、大量の誤訳と不合理な主張に満ちています。彼はヒレンブランドを批判できる立場にはありません。彼のやり方で批判しても、到底納得が得られるはずはありません。誤りを指摘されて終わるだけです。

 ドキュメンタリー本には誤りがつきものです。名作と言われる本の中にも誤りがある場合があります。それは客観的な考察によって判断・評価されるべきもので、反日かどうかで判断されるべきではありません。私もザンペリーニに関する本の中に正確かどうかが気になる部分がありますが、それは丸谷が指摘することとはまったく別の部分の話です。

 なお、映画ではすべてが原作の通りに描かれているわけではありません。映画『Unbroken』も原作と違う部分はかなりあります。どんなに詳細なドキュメンタリー本であっても、映像化するためのすべての情報が書き込まれているわけではありません。たとえば、登場する人たちの服装は書かれていない場合が多く、軍服ですら階級章のような細かい事柄までは分からない場合が多いのです。また、最近の伝記映画では描く人物の人生をより鮮明に描くために、意図的に事実を変えて描く演出手法が一般的になっています。史実と違っても、変更した内容が妥当なら、それは評価をされるべきなのです。そうした視点からいって、この映画は日本でも十分な評価が得られるはずと、私は信じます。

 こうした誤った評論によって『Unbroken』に注目せずに終わるべきとは思えません。関係各位には再考することを強く促します。

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