サイパン島での将官自決に疑問

2016.8.11


 第2次世界大戦中の1944年7月7日、サイパン島の戦いで玉砕命令を出した将官3人が洞窟の中で自決したのは有名な話です。どの歴史書にもそう書かれていますし、映画などでもそのように描かれています。しかし、ごく最近、これが誤りである可能性が高いことを何十年も前に自分が知っていたことに気がつきました。

 自決したのは、南雲忠一海軍中将、第43師団師団長斎藤義次中将、第31軍司令部参謀長井桁敬治少将でした。3人は一緒に自決したとされ、第5根拠地隊司令の辻村武久少将も、同じ頃に自決したとされます。自決した根拠としては、その場にいた部下の証言などによります。

 ところが、志願して陸軍野戦病院で看護婦として活動していた民間人、菅野静子氏(当時の姓は三浦)によれば、6月24〜25日頃、老将官が4〜5人の兵隊に付き添われて野戦病院に担架で運ばれてきました。将官は左腕が根元から砕かれて、肩からぶら下がっている状態でした。手術を行うことになったものの、野戦病院にはO型の者がいなかったので、菅野氏は自分がO型だと名乗り出て、献血を行いました。このため、菅野氏の体はその後かなりの衰えを示しました。

 菅野氏は衛生兵から、この老将官が島の陸軍で一番偉い人だと聞かされました。

 その後、野戦病院が後退する際、疲労していた菅野氏はこの老将官の担架に捕まって歩くことを許され、その際、将官には菅野氏と同じくらいの娘がいると聞かされたことを聞かされました。また、玉砕直前に、老将官から野戦病院と一緒に玉砕せずに逃げるように諭され、形見として小さなハサミをもらいました。菅野氏は野戦部隊隊長の塹壕から、老将官が手榴弾で自決するのを目撃しました。

 これらの記述を最初に読んだのは、私が小学生の頃でした。その後、菅野氏の別の著作も読み、そこにも同じ記述があることは知っていました。これら4人の将官は全員が自決しているというのが歴史の常識です。ところが、菅野氏は将官が重傷を負って、野戦病院に来たというのです。では、この将官とは誰なのか?。

 「陸軍で一番偉い人」なら階級では斎藤中将になりますが、第31軍司令官小畑英良中将は作戦指導のために島を出ており、井桁少将は小畑中将の代理を務めていましたので、軍司令部参謀長と師団長のどちらが偉いかは微妙です。

 また、斎藤中将の遺体は海兵隊が発見し、ホーランド・スミス海兵大将の命令で埋葬されていますから、斎藤中将ではあり得ません。もっとも、海兵隊が別人の遺体を斎藤中将と誤認した場合は話が別です。

 菅野氏は著書の中で、戦後、遺族と連絡を取る中で、老将官が井桁少将であることが分かったと述べています。その理由は特に書かれていません。

 私はいま、菅野氏が井桁少将だったとしたのが間違いないか、根拠を探しています。遺体発見の状況や海兵隊が埋葬したのが斎藤中将だけだったのかを、公式記録から見つけられないかと思っています。

 菅野氏は他に、初期の頃に脚に重傷を負った海軍落下傘部隊の隊長が運ばれてきたとも述べています。「自分だけが死ななかったのは残念です」と繰り返していた隊長は約3時間後に、「天皇陛下万歳」を叫び、拳銃で自決しました。

 「海軍落下傘部隊の隊長」なら、この人は横須賀第一特別陸戦隊の唐島辰男中佐のはずです。しかし、歴史書では彼の死は単に「戦死」と書かれているだけです。

 井桁少将が自決した事実を証言した参謀は複数いて、それぞれに話が微妙に違っています。硫黄島守備隊の栗林忠道中将についても、死亡時については諸説あります。

 この話が示すように、公式に認められている歴史が常に正しいのではなく、誤りのままに放置されているものもあるわけです。先日紹介したように、硫黄島の擂鉢山で掲揚された星条旗を立てた海兵隊員が、今年になって別人と誤認されていたことが判明しました。(関連記事はこちら )。この記事で、発見者が疑問点を有名な軍事史の専門家に示したところ、話は買うが、自分の名前は出すなと答えたといいます。新事実を示すために何を躊躇うことがあるのでしょう。

 菅野氏が戦後、遺族と連絡を取ろうとしなければ、この事実は表に出ませんでした。しかし、我々はそういう努力を無視しています。子供の頃に本を読んでいながら、私はいままで気がつきませんでした。なんと怠惰なことかと、反省をしているところです。

 菅野氏の著作は以下のとおりです。

戦火と死の島に生きる 偕成社

サイパン島に祈る   主婦の友社

サイパン島の最期   国書刊行会

 特に「サイパン島の最期」には、戦火が迫りつつある島民や兵士の心理状況が克明に書かれていて、格好の研究材料になるものと思われますし、戦争によって島民がどのような苦労をしたか、本土に引き揚げるまでとその後の苦労も書かれています。昨今の太平洋戦争正義論など一蹴したくなる内容です。

 


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