河野統幕長の憲法改正発言は適切か?

2017.5.24


 JNNによれば、安倍総理が、今月、憲法9条に「自衛隊」の存在を明記する考えを示したことについて、自衛隊制服組のトップ、河野克俊統合幕僚長は、「一自衛官として」と断った上で、歓迎する意向を表明しました。

 「一自衛官として申し上げるなら、自衛隊というものの根拠規定が憲法に明記されることになれば、非常にありがたいなとは思います」(防衛省 河野克俊統合幕僚長)

 河野氏は、「憲法というのは非常に高度な政治問題であり、統合幕僚長という立場から発言するのは適当ではない」とした上で、このように述べました。安倍総理の発言を支持したのは「一自衛官として」とのことですが、自衛隊の幹部が公の場で憲法といった政治問題について意見を言うのは、極めて異例のことです。


 自衛隊が広く国民に認知された現在、憲法上の矛盾とされる自衛隊の存在について、いまさら改正を否定することはないと考えることは可能です。しかし、河野統幕長の発言はやってほしくなかったと考えます。

 米軍はもっと規律が厳しくて、政治的発言や行動は制限されているからです。その程度のモラルは自衛隊にも必要と考えています。

 米軍では、軍服を着た政治的活動はすべて禁止です。制服を着たまま政治集会に参加した技術兵が戒告処分となったことがあります。将校だと軍歴はそれで終わりますが、技術兵だったので最悪の事態にまでは行きませんでした。(記事はこちら

 士官学校の生徒が記念撮影をするときに、たまたまやったポーズが白人警察官が非武装のアフリカ系男性を殺したことから起きたブラック・ライブ・マター運動を示すジェスチャーと同じだったことも、最終的には処罰されなかったものの、調査が行われました。(記事はこちら

 SNSで政治的発言をすることも規律に該当します。元海軍将校の法学教授、デビッド・グレイザーは「表現の自由は人々が軍隊に入ることで基本的な権利の一部を放棄する一つの分野であることは、長い時間をかけてよく確立されてきたことだと、私は思います」と述べています。(記事はこちら

 支持したい政党にクレジットカードを使って献金することは許されています。国防総省の命令は、隊員に政治的な意見をもつなというのではありません。公にするなと命じているのです。

 米軍の事例を引用してわかるように、河野統合幕僚長が、統合幕僚長ではなく一自衛官として発言すれば問題ないと考えていること自体が問題であり、無知なのです。

 昨年2月、米下院の公聴会に出席したアシュトン・カーター国防長官と統合参謀本部議長ジョセフ・ダンフォード海兵大将は、当時大統領候補だったドナルド・トランプの「拷問は機能する」という言葉をどう考えるかを議員から質問されました。(記事はこちら

 カーター国防長官は「正当な質問です」としながらも「私は我が省は選挙のシーズンから離れている必要があると強く思いますので、慎んで進行中の政治的議論を引き起こす質問に答えるのを辞退します」と述べました。

 結局、一般的な質問への回答という条件つきでダンフォード大将は、間接的表現ながらも、次のように発言して拷問を拒否すると答えました。 「この制服を代表するために私に誇りを持たせることの一つは、我々がアメリカ人の価値観を代表することです」「我々の若い男女が戦争に行く時、彼らは我々の価値観と共に行きます」「我々が例外を見いだす時、米兵が捕虜を虐待する時、いかに我々がこうした例外に厳しく対処するかを見られます。我々はアメリカ人の価値観と共に戦争に行ったことで決して謝罪してはなりません。これは我々が歴史的に行ってきたことで、将来にも行うと予測することです。繰り返しますが、これがこの制服を着ることで、私に誇りを持たせることなのです」。

 このように、政治的と受け取られかねない発言は避けるのが米軍の常識です。

 日本は歴史が古い国ですが、民主主義の歴史は浅いのです。そのため、自衛官にも、こういう意識が育っていません。田母神俊雄元空幕長が、政府の方針と違う意見を公にして、それを批判されると憲法上の「表現の自由」を持ち出して反論したのも、すべてはこういう常識がないからです。このままだと、先進国の軍人たちと自衛官の意見が合わないという、笑えない事態も起こりかねません。

 

 

 


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