「戦闘」と「衝突」の違いについて
NHKニュースによれば、安倍総理大臣は、参議院予算委員会の集中審議で、来月、南スーダンに派遣される見通しの自衛隊の部隊に対し、安全保障関連法に基づく新たな任務を付与するかどうかの判断に関連して、ことし7月に政府軍と反政府勢力との衝突はあったものの、戦闘行為にはあたらないという認識を示しました。
この中で民進党の大野元防衛政務官は、政府が、来月、南スーダンに派遣される見通しの自衛隊の部隊に対し、安全保障関連法に基づく新たな任務の「駆け付け警護」などを付与するかどうか判断するとしていることに関連して、「南スーダンでは、ことし7月に政府軍と反政府勢力との衝突事案があったが、これは『戦闘』ではないのか。新たな任務を付与するのか」とただしました。
これに対し安倍総理大臣は、「PKO法との関係、PKO参加5原則との関係も含めて『戦闘行為』には当たらない。法的な議論をすると、『戦闘』をどう定義するかということに、定義はない。『戦闘行為』はなかったが、武器を使って殺傷、あるいは物を破壊する行為はあった。われわれは、いわば一般的な意味として『衝突』という表現を使っている」と述べました。
そして稲田防衛大臣は、「私が視察をした首都ジュバの中は落ち着きはあったと思う。新たな任務を付与するかどうかは、今後、政府全体で決めることになる。『駆け付け警護』は、緊急、やむをえない場合に、要請に応じて人道的観点から派遣をしている部隊が対応可能な限度において行うものだ。したがって新たなリスクが高まるということではなく、しっかりと安全確保したうえで派遣することになる」と述べました。
この政府答弁は様々な記事ですでに批判されているとおりです。常識的に考えても、政府は「戦闘」を「衝突」と言いくるめているだけです。報道に欠けている部分を、事実関係の再確認も兼ねて説明します。以下に引用する過去の記事は主要なものに限っており、関連記事はもっとあります。
当サイトですでに何度も説明していますが、7月の戦闘は予想されたもので、それが起きただけです。
和平合意を実現するために、今年に入って、レイク・マシャルを首都ジュバに戻す準備が進められていました。ところが、これが何度も延期されます。何日には首都に入ると発表されては、延期されたとの発表が繰り返されたのです。サルバ・キール大統領の政府はマシャルが軍隊を連れてくることを妨害し、移動に協力しようとしませんでした。これはキール大統領がマシャルが首都に持ち込む兵士・戦力をできるだけ少なくしたいために行われた工作でした。また、彼らが重火器を持ち込むことにも反対しました。3月にこうした動きが見られました。(記事はこちら 1・2)
4月に入ると、ようやくマシャル派の軍隊がジュバに到着しはじめました。ところが、政府軍のポール・マロン・アワン参謀長が、彼が生きている限り、レイク・マシャルは、世界で最も新しい国の大統領には決してなれないと言いました。下旬には国連安保理がマシャルが首都に戻れないのではないかとの懸念を表明しています。政府はマシャルの軍隊が持ってくる武器を調べると言い出し、帰還はさらに遅れました。最終的に26日に、マシャルは首都にやって来ました。(記事はこちら 3・4・5・6・7)
3〜4月の動きを見ても、この和平がうまく行きそうにないのは明らかで、4月15日に私は次のように書いています。
なんと恐ろしい展開でしょうか。どう見ても、和平が進んでいるとは思えません。進んでいるのは陰謀であり、マシャル抹殺でしかありません。国連派遣団の目の前で、マシャルが殺害され、同行する反政府軍も殲滅される格好の機会が整いつつあります。中枢をつぶした政府軍は北上し、反政府派を皆殺しにする可能性すらあります。
動きが典型的な陰謀の形を呈していました。それを率直に表現しただけで、具体的に陰謀の情報を得ていた訳ではありません。
敵の戦力が集中するのを、事前に妨害し、できるだけ戦力比が有利になるようにするのは戦いの常識です。それを南スーダン政府がやっていたことは、7月の戦闘が計画的な陰謀だったことを示しています。
マシャルを殺害する計画は次のようなものと考えられます。まず、双方の軍隊の間に小競り合いを起こさせ、それについて話し合おうと、マシャルを大統領宮殿に呼び出しました。マシャルは護衛と共に出向き、会議が開かれたところで、屋外で双方の護衛官の間で銃撃戦が起こりました。マシャルが逃げるために外へ出たところを殺すつもりでしたが、マシャルは屋内に留まる方を選択しました。あまり近いところで死なれると、国際社会から疑われるため、キール大統領はマシャルを殺すことを諦めました。大統領宮殿付近の戦闘だけで100人以上が死んだとされています。
単なる小競り合いでは起こり得ないことが、引き続いて起こりました。政府軍はマシャルの自宅を爆撃して破壊し、マシャル派軍隊1,200人の追撃を開始しました。おそらく、マシャル派は待ち伏せをしたと考えられますが、首都の西方で政府軍と戦闘を行い、大打撃を与えました。ジュバ市内の病院は負傷した政府軍兵士で溢れました。彼らの一部は国連の民間人保護施設に逃げ込みました。(記事はこちら 8・9・10・11)
政治的にも、キール大統領はマシャル派の閣僚を次々と解任していきます。中にはマシャルを裏切って、キール大統領についた反政府派将校もいます。マシャルには命は保証するから戻ってこいと言い、戻らないことを理由に解任しました。(記事はこちら 12・13・14)
マシャルとその軍隊は徒歩で逃げ、コンゴ共和国で国連軍によって救出されました。約750人が生き残りました。
9月に入ると、国連が7月の戦闘はキール大統領とポール・マロン・アワン参謀長が命じたと断定し、戦闘の直前に弾薬を手に入れていたことも明らかにしました。(記事はこちら)
こうした経緯を経て、南スーダンは内戦状態へ逆戻りしたのです。大統領が副大統領を殺すために数ヶ月間周到に準備して実行したのです。従って、7月に戦闘があったことは論を待ちません。
「戦闘」と「衝突」が違うという安倍総理の説明は、伝統的に使われている軍事用語とはかけ離れています。英語でも「fighting、battle、combat等」と衝突を意味する「clash」は同じ意味で使われています。安倍首相はあえて使い分けるのなら、定義を説明すべきですが、戦闘の定義はないと答えいます。これはひどい詭弁です。定義がなければ、「戦闘」と「衝突」を使い分けることはできないはずです。戦闘だとPKO五原則に反するという批判が予測されるので、衝突と言い訳ただけです。
軍事用語として、「戦闘」と「衝突」に区別があると考える人もいるでしょうが、そもそも、区別が存在しない上に、軍事用語では「clash」は普通使われないので、安倍首相は7月に戦闘があったと答えているのに等しいのです。
「法的な議論をすると」と安倍首相は述べていますが、現在は「法律上の戦争」よりも「事実上の戦争」で戦争を捉えるのが国際法ではいわれています。それを知らない安倍首相は自分に都合がよい話を展開したつもりでしょうが、知識のなさが透けています。
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